武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

『エロマンガ・スタディーズ「快楽装置」としての漫画入門』 永山薫著(発行イースト・プレス2006/11/3)


 非難や攻撃の対象にはなっても正面から評論の対象として取り上げられることの少なかった不幸な表現世界、エロマンガを本格的に論じたマンガ論、この国のマンガ文化の一端をしめるこのジャンルの蓄積は、すでに膨大な量となり、質的にも高度な水準の表現世界を構築しており、いつかはまとまった世界として概要を視野に納めておきたかった。ようやくその思いに応えてくれる本に出会ったので紹介したい。
 「まえがき」を読んで、この本を読んでみようと決心した。著者は、ここでエロマンガの世界を「不可視の王国」と呼び、世の中や誰の心の中にもある<エロの壁>が、エロマンガの世界を見えにくくさせていると指摘している。エロの壁が立ちふさがる背景には、いろいろな事情があるだろうが、エロスの本質に関係があることは間違いない。その点を含めて、本書がどんな切り口を見せてくれるか、読んでみよう思い立った。
 本書の構成は、二部に分かれており、一部はエロマンガの戦後史、本書の総論部分に当たる。ドーキンスの進化生物学の用語を応用した、何ともペダンチックな論理構成が面白く、エロマンガを知的に取り扱おうとするとこんなにも理論武装を必要とするのかと、感心するやら呆れるやら、大筋、この国の戦後においては、エロマンガも他の健全なマンガと同様、幾つかの起伏はありながらしっかりと高度成長を遂げてきたことが理解できる。
 エロマンガであってもマンガ表現である以上、戦後の復興から70年頃までの熱気あふれる戦後マンガと劇画の蓄積が表現水準の貯金となり、その後の多様なエロマンガの発展を保証したという分析は、多分誰がやっても同じことを言うだろうと思うほどバランスのとれた記述で説得力があった。天才手塚治虫のストーリーマンガとその後の多様な劇画群などが基礎となってエロス的表現が進化していったというのはよくわかった。エロである前にまずマンガなのだ。私の印象では、エロマンガのルーツとして江戸時代の浮世絵春画を思い浮かべてしまうのだが、全く触れられていないがどうだろう。
 70年以降の展開については、知識としてわかった程度で、細部の展開については記述を必死になって辿るので精一杯、そんなことがあったのかと感心しながらよその国の話のような感じで読んだ。どうしようもない勉強不足を痛感した。
 第二部は、いわば各論、エロマンガのジャンル分けには、幾つかの分け方があるようだが、著者は内容重視の観点から、7章に分けて論じている。相当に分岐し細分化した世界であることはわかったが、そのすべての世界に分け入るには、少し体力を必要とするようだ。各ジャンルのベスト3作品なりと推薦してもらえれば助かったのに、論ずることに真剣で、そんな遊び心はなかったようだ。私はそんな著者の若々しさと真剣さに好感をもった。
 引用されている画像はけっこうエロチックなのに、文体は非常に硬質、いささかのエロティシズムさえ寄せ付けない気配、この著者はエロマンガをどんな顔をして読んでいるのか、少し心配になった。マンガ文化に関心のある若い人には、この分野もお忘れなく、という意味でも一読をお勧めしたい好著、エロマンガを楽しんでいらっしゃる方には、無心に楽しめなくなるかもしれないので、敢えてお勧めしないでおこう。
 最後に目次を引用しておこう。緊密な構成が感じ取れよう。

まえがき
第一部 エロマンガ全史
前説 〜ミームが伝播する〜
第一章 漫画と劇画の遺伝子プール
【1940〜50年代】ゲノムキング・手塚治虫/カウンターとしての劇画
【1960年代】『ガロ』と『COM』と青年劇画/ハレンチな少年漫画
【1970年代前半】石井隆榊まさるに始まる
第二章 三流劇画の盛衰、または美少女系エロ漫画前夜祭
【1970年代中期】三流劇画ブーム/24年組、ネコ耳付き:70年代少女漫画黄金時代/エロコメの源流はラブコメだっちゃ/同人誌というオルタネイティヴな回路
【1970年代末期】三流劇画の凋落と美少女の出現
第三章 美少女系エロ漫画の登場
T980年代前半】ロリコン革命勃発/初期ロリコン漫画
【1980年代後半】二人のキー・パーソン/黄金時代
【1990年代前半】冬の時代
【1990年代後半】成年マーク・ハブルの時代/ショタ、女性作家の台頭/洗練化の波とハイエンド系/新しい表現と回帰する表現/「萌え」の時代
【2000年以降】浸透と拡散と退潮と

第二部 愛と性のさまざまなカタチ
前説 〜細分化する欲望〜
第二早 ロリコン漫画
ロリコン漫画とは何か?/初期のロリコン漫画/罪という名の補助線/言い訳は読者のために/虚構は虚構/罪の悦び/内なるデーモン/私は私/こどものせかい/口リコン漫画ふたたび
第二章 巨乳漫画
ロリコンから童顔巨乳へ/最初から記号化された乳房『ドッキン美奈子先生』/巨乳の巨乳「BLUE EYES」/付加価値があっての巨乳/巨乳の表現
第三章 妹系と近親相姦
愛さえあれば近親も辞さず/理想の母と淫乱な義母とリアルな母/愛もモラルもなく/脳内妹との甘いロールプレイ
第四章 凌辱と調教
凌辱、劇画とネオ劇画/ルサンチマンとコミュニケーション/レイプ・ファンタジー/調教と洗脳/鬼畜とヴァルネラビリティ
第五章 愛をめぐる物語
恋愛系エロ漫画の系譜/オトメちっくとラムちゃん類型/ピュアなラブラブ/保守的な恋愛観/愛の深淵
第六章 SMと性的マイノリティ
SM、あるいは演劇する身体/SM、制度への絶対的な帰依/性器から乖離する欲望=多形的倒錯
第七章 ジェンダーの混乱
シーメールとトランスー乳房と男根の意味するもの/シーメールと隣接領域/リアルな男性器と幻想の女性器/ショタ、またはオート・工ロティシズム
終章 浸透と拡散とその後
性なきポルノグラフィ
あとがき