武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『猪谷六合雄スタイル 生きる力、つくる力』 猪谷六合雄著, INAXギャラリー企画委員会著, 建築・都市ワークショップ編, 石黒知子編 (発行INAX出版2001/6/15)

 明治生まれの稀にみる、遊びと生活の達人、猪谷六合雄の素晴らしさを視覚的にもっともわかりやすく紹介する本として、この本は、高田宏さんの評伝とならぶ絶好の猪谷ワールドの入門書である。
 この猪谷六合雄なる人物は、つい何年か前に亡くなられた米原万理さんの「私の読書日記」という文章で知った人。評伝を読んでも著作を読んでも、この国にもこんな凄い人がいたのかと、ただただ感心するやら呆れるやら、もっと詳しいことが知りたくて、この展覧会の図録のような本に行き当たった。
 ご自身で写真集を出版されているほどなので写真の技術も相当な腕だが、この本に収録されている写真は全て、猪谷氏本人のもの、引用されている印象的な文章も氏の著作集からの引用となっている。気取りのない堂々とした写真表現と、明晰で繊細な感受性豊かな文章表現を組み合わせた、素晴らしい猪谷六合雄案内に仕上がっている。
 本書の構成の柱は、①小屋造りと②スキーとスキー場造りと③キャンピングカー造り、そこに集約された猪谷六合雄さんのライフスタイルと無数の生活の知恵によって出来ている。
 まず小屋造り、なんと生涯で12棟もの小屋をほぼ独力で設計し作り上げたり借りて改造して仕上げたりしている。個性的で創意に満ちた発想、写真で見るといかにも使いやすそうな住まいに仕上がっている。建物を比べる限りでは、ウォールデン湖畔につくったソローの「森の生活」の小屋よりも、遙かに上をいっている。しかも、自分一人ではなく、家族と生涯の大半を暮らしているというところが凄い。ソローはたった2年2ヶ月で森の生活から撤退してしまっている。ソローを遙かに凌ぐ自然人といっていい。遊びと生活が渾然一体となった生き方がなんとも凄い、常人の真似のできることではない。
 次に凄いのは、スキー場やジャンプのシャンツェのための用地をやはり独力で探し、設計し開墾してつくりあげてしまうところ、スキーをして遊びたいから、スキー場を自分で作ってしまうという発想が何とも言えない。明治のこの国のスキーが草創期だった頃の創造力に満ちあふれていた頃のとてつもなくエネルギッシュな話。三浦敬三さんとお知り合いだったこともわかった。
 もう一つは、71歳で免許をとって出始めたばかりのワゴン車を改造して、今で言うキャンピングカーを作り上げ、その中で暮らす話。90歳までに5台の独創的なキャンピングカーを造り、全国各地を走り回りながら暮らしていたこと。世の中にキャンピングカーという発想自体がまだなかった頃に、車の中で生活していた合理性と自由への飽くなき探求心、偉大な自由人と言う他の言葉がない。
 ダヴィンチと同じように何でも自分でこなしてしまう万能工作機械のようなマルチ人間なので、他にも群を抜く才能をたくさん開花させた人だが、本書は上記の3点に絞り込んで編集されているところがスッキリしていい。本書の目次を引用しておこう。

◎小屋に生きる、小屋をつくる
エッセイ―「山小屋の朝二題」/「私の山小屋について」 猪谷六合雄
◎スキーをつくり、ゲレンデをひらき、スキーヤーをそだてる
エッセイ―「裸でジャムプ」 猪谷六合雄
◎好きなところで暮らしたいから車に住む
エッセイ―「コマ鼠生活の一日」 猪谷六合雄
猪谷千春 父を語る
インタビュー―猪谷千春
◎猪谷六合雄スタイル辞典
インタビュー―田島一男/三浦敬三/船水不二也/関金三郎/杉山進/奈良光義

 90歳になってもまだ、キャンピングカーを改造し続けたその元気さには、脱帽するのみ。リタイアして生き甲斐を探すヒントをお求めの方には是非お勧めしたい。その類例のない格好いいライフスタイルは若い人にもきっとアピールすると思います。
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