武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 西日本新聞の【崩れた安全神話】5回シリーズのご紹介

西日本新聞が4月末から5月始めにかけて連載した科学記事【崩れた安全神話 福島第1原発事故】の5回シリーズは、今回の福島原発事故を扱った連載企画としては、極めて早いものではないだろうか、そしてまた、この種の企画が今後たくさん出てくるであろうが、その基本パターンとなるような良い内容だったので紹介しておきたい。見出しを列挙すると以下のようになる。5回シリーズで良くまとまっている。切れ味の良い文体で説得力がある良い記事だ。怪物・疑念・軽視・依存・選択、このキーワードの連鎖は上手かった。
<1>怪物 深刻事態に即応できず―3/11当日のドキュメント
<2>疑念 首都脱出は行き過ぎか―諸外国の反応と情報操作
<3>軽視 不作為を隠す「想定外」―甘い過去の事故想定
<4>依存 「安定供給」は免罪符か―原発サイドの本音
<5>選択 政策転換ためらう政治―エネルギー政策の転換
それでは、ご存じない方も多いと思うので、以下にシリーズ全部を引用しておきたい。

【崩れた安全神話 福島第1原発事故】<1>怪物 深刻事態に即応できず=2011/04/28付 西日本新聞朝刊=
 危機対応が長期化する東京電力福島第1原発事故。先送りされてきた事故の検証はこれから本格化し、国民の厳しい視線が注がれることになる。被害拡大は防げなかったのか。安全対策のどこに過信や欠陥があったのか。未曽有の原発事故で浮かび上がった「安全神話」崩壊の実像に迫る。

 「15条事態になった、と東京電力から連絡がありましたっ」

 3月11日午後2時46分の東日本大震災発生から約2時間後。飛び込んできた職員の言葉に、原子力安全・保安院の記者会見室は騒然となった。

 原子力災害対策特別措置法の15条通報は、原発で緊急事態が発生したことを意味する。10メートルを超す津波に襲われた東電福島第1原発は1―5号機の非常用ディーゼル発電機が止まり全交流電源を喪失。1、2号機は非常時に炉心に水を注ぎ原子炉を守る緊急炉心冷却装置(ECCS)の作動を確認できなかった。

 ところが、会見中だった審議官の中村幸一郎は「(東電は)念のための報告。経産省として判断したわけじゃない」。原子炉の余熱などでタービンを回して原子炉に注水する「原子炉隔離時冷却系」や非常用復水器といった緊急時の冷却装置がまだ動いていた。蓄電池が使える7―8時間以内に電源車を接続すれば何とかなる、との見立てがあったとみられる。

 ■固執

 このシナリオは崩れていく。東北電力の電源車が午後9時すぎに駆けつけたが、接続に必要な低圧ケーブルの用意がなく、原発へのつなぎ口も浸水。2号機では冷却が行われているか確認できなくなった。蓄電池が切れる時刻が刻々と迫ってくる。保安院は午後10時、2号機で予測される展開を官邸に報告した。

 「22時50分 炉心露出」

 「23時50分 燃料被覆管破損」

 「24時50分 燃料溶融」

 「27時20分 原子炉格納容器設計最高圧到達、原子炉格納容器ベントにより放射性物質の放出」

 燃料が破損して格納容器の圧力が高まり、格納容器を守るために放射性物質を含む水蒸気を外部に放出するシナリオ。それでも保安院と東電は電源回復に固執し、消防車を使った外部から原子炉への注水は後回しになった。

 ■空費

 官邸では、首相の菅直人経済産業相海江田万里原子力安全委員会委員長の班目(まだらめ)春樹が協議し、午後11時すぎに「弁を開けて格納容器の水蒸気を外へ出すベント作業が必要だ」と東電に伝えた。12日午前1時半に海江田が正式に指示した。

 だが、実施したとの報告は届かない。「まだか」。海江田が1時間おきに催促する間に1号機の格納容器圧力は上昇。午前4時半には、東電の社内マニュアルでベント実施と定めた8気圧を上回った。

 周辺住民が被ばくする恐れがあるベント。国内に前例はなく、東電の動きは鈍かった。政府が法的強制力のある命令を出したのは午前6時50分。実際に東電がベントに着手したのは約3時間半後だった。

 そして午後3時36分、1号機で水素爆発。建屋が壊れ放射性物質が周囲に飛散。事態は悪化し、福島第1原発は制御不能へと陥っていく。

 震災から1カ月後。国策の原発推進を担う海江田は夕刊紙にこう記した。「原子力というのは生き物だということです。人間が押さえ込もうとすると、巨大な怪物は必死でこれに抵抗して、強烈な反撃をします。人間と怪物との戦いはまだ決着がついていません」 (敬称略)

【崩れた安全神話 福島第1原発事故】<2>疑念 首都脱出は行き過ぎか=2011/04/29付 西日本新聞朝刊=

 福島第1原発事故から自国民をどう守るか−。原発大国のフランスが出した答えは「首都脱出」だった。

 避難指示区域を原発から3キロ以内(3月11日午後9時23分)、10キロ圏(12日午前5時44分)、20キロ圏(同午後6時25分)と場当たり的に拡大した日本政府に対し、原発爆発の可能性を疑ったフランスは震災発生2日後の13日に「数日間関東を離れることが望ましい」とホームページで情報発信。原発から200キロ以上離れた首都圏にいた約6千人のフランス人は、半数以上が帰国したり、避難したりした。

 18日に大阪に大使館機能を移したドイツのように、東京の大使館を閉じた国は32カ国に上る。

 「原発の状況が分からない」。外務省には、50カ国以上の大使館職員が押しかけ、東京電力原子力安全・保安院の担当者に説明させる日々が続いた。

  ■隠匿 

 東電を監督する保安院は連日会見。首相官邸でもほぼ毎日、官房長官会見で原発事故に関する情報を発信した。

 官房長官枝野幸男は、20―30キロ圏内の屋内退避区域やその外側で、比較的高い放射線量が測定されても「直ちに人体に影響を与えるものではない」と繰り返した。保安院で会見する経済産業省官房審議官、西山英彦は、東京を離れる動きには「そういう必要はない」と呼び掛けた。だが、政府の対応が、国民の不安を増幅させていく。

 原発から外部に漏れた放射能の拡散予測をドイツなど諸外国はいち早く公開した。ところが、「SPEEDI」と呼ばれる放射性物質の拡散予測システムを持つ日本は推計結果を出し渋った。

 保安院が、国際的尺度に基づく事故評価をチェルノブイリ事故と並ぶ過去最悪の「レベル7」に引き上げたのは事故1カ月後。しかし、原子力安全委員会のメンバーの一人は3月下旬にはレベル7相当との認識だったことを明かす。

 国民の安全にかかわる情報を隠匿したかのような対応ぶり。政府は、内容の精査に時間がかかったと釈明するが、国民を信用していない政府の姿勢が透けて見える。

 ■批判 

 原発事故を独自に分析したフランスは、3月末の大統領来日に合わせ「東京滞在に危険はない」と情報を修正。東京のドイツ大使館も今月11日に業務を再開した。大使館の閉鎖は3カ国に減り、東京に外国人が戻りつつある。

 首相補佐官として東電に詰めていた細野豪志は27日、日本外国特派員協会で講演した。日本政府の情報発信に海外の批判が高まっているからだ。

 「一時は原発をコントロールすることが非常に難しい状態だった」「パニックを起こさないよう情報の出し方に配慮した」と明かし「これからは疑念を持たれないよう、海外にもすべての情報を公開する」と誓った細野。だが、今後のリスクについては「東京に被害が出るのはあり得ない」と言うだけだ。

 災害時の情報のあり方を研究する前東京女子大教授の広瀬弘忠は「政府は、将来にどんなリスクがあり得るかを伝えていない。それならば、住民は最大限の防御をせざるを得ない。首都脱出は決して過剰な行動ではなかった」と指摘する。 (敬称略)

【崩れた安全神話 福島第1原発事故】<3>軽視 不作為を隠す「想定外」=2011/04/30付 西日本新聞朝刊=

 原子炉の冷却機能が失われた−。防災服姿の閣僚らが勢ぞろいした首相官邸4階の大会議室。「緊急事態宣言を発出する」。当時の首相麻生太郎の声が響いた。

 2008年10月22日、政府の原子力総合防災訓練が行われた。設定された事故現場は福島第1原発3号機。原子炉の水位低下で核燃料が破損、放射性物質が大気中に放出された−とのシナリオに沿って訓練が進んだ。

 しかし、想定された住民の避難区域はわずか半径2キロ。放射性物質の放出は、故障した冷却機能の復旧で7時間後には止まることになっていた。3基同時に原子炉の燃料が破損し、なお半径20キロ圏の住民避難が続く現実の事故との落差は、あまりに大きい。

 「国内では放射性物質が大量飛散するような大事故は起きないことになっていた」(電力会社関係者)。安全神話は崩壊した。経済産業省原子力安全・保安院長の寺坂信昭は、今年4月初めの国会答弁で「認識に甘さがあったと反省している」と述べた。

 ■研究

 ただ、こうした深刻な事態は必ずしも「想定外」ではなかった。

 保安院原発検査を技術支援する独立行政法人原子力安全基盤機構。冷却機能を失った原子炉がどんな経過をたどるか、昨年10月に研究結果をまとめていた。

 分析は原子炉の型ごとに行われた。報告書によると、福島第1原発2、3号機と同タイプの原子炉では、注水不能になって約1時間40分後に核燃料が溶融。約3時間40分後には原子炉圧力容器が破損、約6時間50分後には格納容器も破損し、放射性物質が漏れ出すと結論づけた。

 ところが、機構は「研究成果を一般に公開する」として報告書をホームページに掲載しただけだった。「電源喪失で冷却機能が失われても短時間で復旧する」との甘い想定は見直されず、報告書をもとに保安院が新たな安全対策を指示することも、電力会社が自主的に対策を講じることもなかった。

 ■遠因

 「規制と推進が同じ大臣に統括されているのは無理がある。無理を重ねてきたことが大事故の遠因になった」

 元原子力安全委員会委員長代理の住田健二は27日、参考人として出席した国会質疑でこう述べた。原発の安全検査をする保安院は、原子力行政を推進する経産省の傘下にある。「推進と規制の分離は原子力行政の国際常識。主要国で実現できていないのは日本だけだ」と住田は言う。

 09年6月、経産省の審議会。地質の専門家が、東北に大津波をもたらした貞観地震(869年)を例に福島第1原発の不備を訴えたが、政策には反映されず黙殺された。

 保安院の検査結果をチェックする原子力安全委員会の委員長班目春樹は東大大学院教授だった07年、中部電力浜岡原発をめぐる訴訟の証人尋問で、地震などで原子炉冷却に必要な非常用発電機がすべて使えなくなる可能性を問われ「割り切らなければ原発はつくれない」と述べている。

 行政、電力業界、原子炉メーカー。最悪の事態への備えを怠ったのは、官民が半ば一体化した「原子力村」の「不作為」ではなかったか−。

 「大事故の可能性を認めたらおしまい。『だから原発は危ない』と拒否され、どこにも原発をつくれなくなる」。国策推進が最優先だった。 (敬称略)

【崩れた安全神話 福島第1原発事故】<4>依存 「安定供給」は免罪符か=2011/05/02付 西日本新聞朝刊=

「夏が近づけば、今以上の多大な負担と犠牲を強いる可能性があります」

 3月24日、東京電力本店の記者会見。福島第1原発事故の影響を問われた東電幹部は悪びれる様子もなく答えた。

 東日本大震災発生3日後の14日に唐突に首都圏で始まった計画停電。電車の間引き運転や信号機消灯による道路の混乱、患者の命を預かる病院が対策に追われる最中の電力「不安定供給」宣言だった。

 電気事業連合会によると、日本の発電用原子炉は54基。国内の発電電力量の29%を賄う。東電の通告は、原発依存社会の現実を国民に突きつける形となった。

 震災後、原発再開にいち早く動いたのは中部電力だった。東海地震が想定される地域に立地し危険性の指摘が絶えない浜岡原発静岡県御前崎市)に、高さ12メートルの津波に備える堤防を建設すると決定。その上で、4月28日の記者会見で社長の水野明久は定期点検中の3号機を7月に運転再開させると踏み込んだ。「原発なしでは電力の安定供給は難しい」が決めぜりふだ。

 ■追 加 

 「チェルノブイリ級」の事故の影響は全国の原発に広がった。定検や事故などで発電を停止している原発九州電力玄海原発佐賀県玄海町)2、3号機を含め30基。発電中の原発は24基にすぎない。定検中の原発が発電を再開できなければ、電力危機は全国に拡大する。

 経済産業省は3月30日、全国の原発を対象に緊急安全対策を打ち出した。津波などで非常用電源が使えなくなっても原子炉を冷却できるよう電源車や消防車の配備などを義務付ける内容。中部電力300億円、関西電力700億円、九州電力も400億―500億円。各社は巨費を投じ対策に着手した。

 ところが、4月7日に発生した最大震度6強の余震後、東北電力東通原発1号機の非常用発電機3台が一時、すべて使えなくなった。原子力安全・保安院は慌てて、原子炉が冷温停止中でも2台以上の非常用発電機を接続、動作可能な状態にするよう各原発の保安規定変更を追加で指示。保安院担当の官房審議官西山英彦は「これまでの対策が十分でなかったと言わざるを得ない」と認めた。

 ■覚 醒 

 緊急対策も、追加対策も、原発再稼働のため。しかし、30キロ以上離れた地域にも放射能汚染を広げた今回の事故は、原発立地自治体の周辺市町村にも不安を与えた。

 川内原発3号機増設計画がある鹿児島県薩摩川内市の南隣のいちき串木野市。市長と市議会は3月下旬、計画凍結を九電に申し入れた。国の規定では、増設に必要なのは立地自治体の首長と知事の同意だけだが、ほぼ全域が原発から半径20キロの同市は「黙っていられない」。他の周辺市町も続いた。

 玄海原発がある玄海町にも、一部が20キロ圏の福岡県糸島市の住民から、再起動させないよう求める電話が数件入った。初めてのことだ。

 「安全だと聞かされ続けてきてこれだ。誰がどう言ってくれれば信じられるかは分からない。でもこのままじゃ駄目だ」。4月26日に経産省原発の安全確保を要請した佐賀県知事古川康は、地元を覆う不信感を記者団にまくしたてた。

 地域の信頼抜きでは、原発依存社会は成り立たない。 (敬称略)

【崩れた安全神話 福島第1原発事故】<5>選択 政策転換ためらう政治 =2011/05/03付 西日本新聞朝刊=

 多目的ホールを埋めた市民200人の熱気と、前2列の国会議員席との温度差は歴然としていた。

 4月26日、国会衆院第1議員会館であったエネルギー政策転換を目指す超党派勉強会の初会合。社民党政審会長の阿部知子の呼び掛けで集まった与野党議員30人のうち、脱原発を明言した議員はわずか。「ゼロから白紙で勉強する」(元自民党幹事長の加藤紘一)と中立にこだわる議員が際立った。

 「フクシマ」の原発事故は世界中を震撼(しんかん)させ、ドイツ首相のメルケル脱原発へ政策転換を図る方針を表明し、イタリアも原発再開議論の無期限凍結を決めた。

 ところが「原発不信」震源地の日本の首相、菅直人は、5月1日の国会答弁でも「クリーンエネルギーにもっと重点を置く」と述べるだけで、原発にどう向き合うか、明確な方針は打ち出さない。野党からも「直ちに脱原発と結論を出すべきときではない」(公明党代表山口那津男)と先送りの声が上がる。

 ■温床

 原発は1973年の第1次石油ショックを機に建設が加速。74年には電気料金の一部を地域振興策に充てる電源開発促進税法などが制定され、立地自治体を道路やハコ物建設で懐柔する仕組みが整えられた。そこに政治家や業界の利権の温床も生まれた。

 大小の原発事故や不祥事隠しが発覚しても、政官財の鉄の結束が国民の批判をはね返した。

 世界は違う。旧ソ連チェルノブイリ原発事故、地球温暖化対策、世論…。原発大国の米国やフランスなどを除き、多くの国は脱原発か否かで大きく揺れ続けた。

 一方、政権交代後も続く日本の原発推進政策は、成長著しい新エネルギー分野で日本の国際競争力を奪った。米シンクタンクによると、2010年の世界の発電容量は、風力や太陽光などの再生可能エネルギー原子力を上回った。ところが、日本メーカーはかつてトップだった太陽光発電の世界シェアを落とし、風力発電でも欧米や後発の中国勢に水をあけられた。

 ■外圧

 「二酸化炭素削減を果たすには原子力エネルギーに頼るしかない。安全基準を高めることは必要だが(日本を含めて)選択肢はない」。福島第1原発事故の先行きが読めない中で来日したフランス大統領サルコジは、3月31日の記者会見で日本が脱原発に向かわないようくぎを刺した。原発輸出国として、原発不信が世界に広がるのを恐れる。

 外圧だけではない。経済財政担当相の与謝野馨は「電力を原子力に頼る状況は抜け出せない」とけん制する。危険性は伏せられ、国民的議論を避けながら、国策で膨らんできた原発。教育現場やマスコミを含め社会全体で推し進めてきた政策からの転換を政治はなおもためらっている。

 4月24日。子ども連れなど市民約4500人が脱原発を訴え東京電力本店までデモ行進した。「『3・11』後、市民の誰もが原発問題の当事者になった」。参加した作家の雨宮処凛(かりん)は、市民の意識変化を強く感じた。

 政治はどっちを向いて、将来を描くのか−。5月26、27日にフランスである主要国(G8)首脳会議。冒頭スピーチを託された菅が原発事故とこれからのエネルギー政策に言及する。 (敬称略)

 =おわり