武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 5月第1週に手にした本(2〜8)

*情けないことに書庫にあることを忘れて同じ本を買ったり、読んだことすら忘れて図書館に予約を入れたりするようになってきた。読んだり読みかけたりした本を備忘録としてメモ、週1で更新しています。(今週もたくさんの本を手にしたが全部読了できたわけではありません。)

オクタビオ・パス著/牛島信明訳『弓と竪琴』(岩波文庫2011/1)*メキシコのノーベル賞受賞詩人の詩論集、饒舌で難解な詩への信仰告白、緊密で熱い文体が読むものを息苦しくさせる。
小松秀樹著『医療崩壊』(朝日新聞社2006/5)*変貌を遂げる現代社会を前にして、医療現場が陥りつつある苦境と、現場からのうめき声が聞こえる。学校教育が初歩的な医学教育に背を向けて、医療のすべてを医師会が独占してきた弊害という気がした。
麻生磯次訳注『対訳古典シリーズ―奥の細道』(旺文社文庫1988/5)*東北地方をおそった東日本大震災から二ヶ月近くが経過、芭蕉が1689年3月下旬に奥の細道に旅立って400年以上経つ。何故か、昔の東北の風景が気になって、何度目かの奥の細道の通読。揺るぎない芭蕉の美文にしばし陶然となった。
◎岡田暁夫著『CD&DVD51で語る西洋音楽史』(新書館2008/8)*この著者の音楽史は、斬新な指摘と新鮮な語り口で、何時も感心させられる。歴史的な視点から、クラシックを楽しむのも悪くはない。
武田百合子著『富士日記(上)(下) 』(中央公論社1977/12)*富士山の麓の別荘で過ごす武田泰淳武田百合子さんの淡々とした日常の記録が、何と心休まることだろう。少しずつ読み継いでいくと、日記文学を読むしみじみと醍醐味に浸ることができる。何度読み返しても飽きない名著である。一気読み出来ないし、一気読みすると勿体ない。
杉本秀太郎著『洛中生息』(みすず書房1976/10)*京都の町に暮らす著者の、軽い随想集。京都には全く土地勘がないせいか、同じ著者の古典文学エッセイほどには引き込まれなかった。
杉本秀太郎著『絵草紙』(創樹社1986/3)*この著者の古典随筆が好きなので、絵草子関係の随筆を期待して手にしたが、当てが外れた。折に触れて各種の新聞雑誌などに寄稿した長短織り交ぜた随筆を集めた随筆集。
五味太郎著『大人問題』(講談社1996/12)*「ぼくは、とくに「子ども好き」ではありません。人間が仕方なく好きです。動物もけうこう好きです。万一事故に遭って死ぬなら、愚かな人間の車に轢かれるよりは、クマに食われるとか、びっしり蟻にたかられるとか、錦ヘビに絞められるほうがいいです。「向こうにも事情はあるな」ということで、あきらめがつく気がします。」こういう目を瞠るような短文が並んでいるので、油断ならない傑作アフォリズム随想集。五味太郎さんのイラストの背後にある作家精神の素晴らしさが伝わってきます。本のレイアウトも愉しめて、手放したくない本。
井上達夫著『共生の作法―会話としての正義』(創文社現代自由学芸叢書1986/6)*若々しい法哲学者の現代倫理学原論、颯爽とした論旨の展開が爽やかな説得力に繋がっている。現代日本社会批判として今なお新鮮さを失っていない力作哲学論文集。しなやかで息の長い自在な文体が見事。