武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

少し元気に その五

私たち老夫婦は毎朝散歩に出る

豪雨やよほどの強風、大雪でもない限り

五十分程度のアップダウンのある遊歩道を

移り変わる四季の景色を楽しみながら歩く。

 

遊歩道のある道の駅の駐車場まで車で移動し

歩いているときは自然公園のようなのどかな道を

息が弾まない程度に調節しながら

軽い会話を交わしながら。

 

車で移動するにしても車までは歩かねばならない。

電車やバス、列車を使うにしても

乗り降りする地点までは歩かねばならない。

船や飛行機で旅をするにも

最初と最後は歩いて乗り歩いて降りるしかない。

歩くことがすべての始まりと終わりにある。

車椅子の不便さを思うと切なくなる。

 

歩いていると楽しい出会いにも遭遇することもある。

朝の散歩道ではしばらく前から真っ白なネコを見るようになり

シロと呼ぶようにしていたら最近、向こうから距離を縮めるようになり

この頃はスキンシップのコミュニケーションがとれるまでになった。

また、野良猫の友達が増えてしまった。

 

野良猫だけでなく時折出会う人の中には

挨拶が立ち話に発展して気軽な知り合いのようになった人もいる。

道端の野草の中には季節の変化を印象づけてくれる花もある。

今、私たちが心待にしているのは、

節分の時期に会わせたように咲く可憐で清楚なセツブンソウ。

短い間に芽を出し葉を広げ花を咲かせ実をつけてたちまち消え失せてしまう。

 

朝の散歩道自慢を始めたらきりがないくらい、

今回はこれくらいにして、後はいずれ。