武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

少し元気に その九

赤城の山荘を手に入れてもうすぐ九年になる。

はじめは週末の山里暮らしで

所沢の暮らしと半々ぐらいの行き来だったが

コロナのことがあって山里暮らしが大半になってしまった。

 

山里暮らしが長くなると今まで気づかなかったことにも気がつくようになる。

街中で暮らすのと違って圧倒的に自然に恵まれている代わりに

日常生活での不便なことが多くなる。

ほとんどのお店が遠くなり、買い置きが大事になる。

病院やコンビニだって近くにはない。

人口密度が低くて商店がやって行けないのだ。

 

自然の脅威にさらされる。

豪雨になると外出は考慮の外になり

寒風が吹くと家のなかにとどまるしかない。

買い置きの保存性のよい食料をかじりながら

天候が回復するのをひたすら待つ。

晴耕雨読がライフスタイルそのものとなった。

雨の日をどう過ごすかが生活の質に直結する。

 

町には町の歴史があるように

山里には山里の固有の歴史がある。

ここは、戦後のはじめ、

引き上げ者や土地を必要としていた人々が

開拓者として入植してできた新しい山村、

戦前からの古い歴史を持たない村。

それでも今は二代目、三代目が現役となり、

入植世代は亡くなったり高齢化したりで

世代交代が進んでいる。

 

私たちのように最近になって移り住むようになった家もあり

すでに山里暮らしに同化して村の一員として定着した家もある。

中には、村人との付き合いを避けて

孤島で暮らしているように没交渉のままの家もある。

この村は戦後にできた村のせいか、

どんな住まい方にも寛容で

新旧の住民間の波風はあまり聞かないない。

 

私たちは、

この、山里に移り住む人に穏やかな距離を置く村人たちの

この、やりかたが気に入っている。