武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 4月第3週に手にした本(16〜22)

*情けないことに書庫にあることを忘れて同じ本を買ったり、読んだことすら忘れて図書館に予約を入れたりするようになってきた。読んだり読みかけたりした本を備忘録としてメモ、週1で更新しています。(今週もたくさんの本を手にしたが全部読了できたわけではありません。

士郎正宗著『アップルシード1〜4&データブック』(青心社1985〜1990)*この著者のデビュー作、ネットで格安なものを見つけ、一括購入した。物語は4巻までで未完だが4巻までで終了のよう、事実上の5巻目に当たるデータブックが一番興味深かった。マンガ家は物語の世界をここまで緻密に仮構するのかと感心した。詳細に描き込まれたマンガの方は、読む側のエネルギーを消耗させるほど絵に力がこもっており、1巻読むだけでぐったり疲れが出る。マンガでしか描き出せない近未来SF世界の展開が素晴らしい力作。
石子順造著『石子順造著作集第3巻/コミック論』(喇嘛舎1988/11)*細切れにこの著者のサブカルチャー論を読んできたので、まとまったものが読みたくて本書を手にした。コミック論だけでなく、演劇論と映画論も収録されており、60年代から70年代にかけてのサブカルチャーの世界が孕んでいた熱気が伝わって来る。今はメジャーになりすぎたか。
田崎真也著『言葉にして伝える技術/ソムリエの表現力』(祥伝社2010/10)*ソムリエコンクールの優勝者というのは何と凄い実力を持つものなのだろうか、美味しさや味わいの日本語表現に迫る文体の切れ味が素晴らしい。安易な慣用表現をばっさりと切り捨ててゆく筆致は、達人の殺陣を見るようで身持ちが良い、説得力も抜群。この本を読んだらいい加減な気持ちで味わいを語ることが出来なくなるだろう。何故ソムリエが言語表現の技を磨かざるを得ないかを記した行に感銘をうけた。味覚にかかわる基本図書として推したい。
◎田端晶子・淵上匠子編『おいしさの表現辞典』(東京堂出版2006/8)*<おいしさ>と言うことがいかに一筋縄で行かないか、序論の部分をもっと展開して欲しかった。個々の食材についての日本語表現は、味覚の観点から見ると、なにも表現していないことが多いのに愕然とした。日本語による味覚の表現の貧しさ、あるいは味覚の言語表現の不可能性すら立証しかねない本書の試みは、日本語表現の貧困(その味覚障害ぶり)を明らかにして貴重である。食物の味について、日本語は非常に貧しい語彙しか持っていないことが分かって辛い。