武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 (写真は公園の一角で咲いていた樹木の花、名前は分からない)公園では、今日は何時になく走っている人が多かった。

toumeioj32005-07-03

 曇り空で気温も20度前後の感じ、暑くないので7時頃に家を出て南に向かう。総数1万人近くが暮らす住宅街の東側を通り抜けるつもりだったが、少し住宅街に紛れ込むことにした。通りによってはひろい庭に丹精込めた草花を育てている家がある。夏の花が咲き出したのや枯れ始めたのなど入り混じり、タイミングがよく見ごろにの庭先では立ち止まって見とれてしまう花盛りのところもある。
 歩いていて、若い頃、豊島区でアパート暮らしをしていた時のことを思い出した。2階に部屋を借りていた。道路一本隔てた反対側に大きな庭を持つお屋敷があった。立派な門構えの堂々たるお屋敷だった。その門は年中開かずの門だったが、秋の数週間だけ門を開いた。門柱に黒々とした墨の文字で「自由にご覧ください」と張り紙がある。一歩中に入ってびっくり仰天。広い庭いっぱいに白や黄色や紫など色とりどりの見事な菊の花盛り。何時もは閉ざされた門のように口を結んでいるおじいさんに話しかけ菊のことを褒めると、珍しく会話が弾んだ。気さくな感じの人のいいおじいさんだった。あれ以来、立派に花を咲かせた庭を見ると、人がいれば声をかけて褒めることにしている。丹精込めた人に対するただで鑑賞する人の礼儀と心得た。あれから数十年、気持ちの良いひと時の会話が何度成立したことだろう。ちょっとした褒め言葉が、お互いを気持ち良くすると知って活用してきた。
 北海道を旅していた時など、家の人が暇だったのか、家に招きいれてもらい、お茶とお菓子を振舞われた。お土産にエゾ桜の種まで頂いた、帰ってきた育てようとしたがうまく育たなかったが。
 話が脱線した。住宅街から抜け出し、通信施設の横を通りぬける。舗道に盛大に溢れ返っていた雑草が、最近刈り取られたらしくすっきりして、チト物足りない。視界が開けたので、子どもの飛び出しなどの事故防止にはいいかもしれないが。
 やがて、お目当ての航空公園に入る。何時ものコースを歩き始めると、今日はジョギングする人のイベントがあるらしく走る人の数がいつもよりはるかに多い。胸に「8時間耐久」などと書いたゼッケンをつけて走っている。子どもからお年寄りまで、かなりのスピードで走っている。数人が走るのは見ていていいもんだが、数十人、数百人がぞろぞろ走ってくると、気持ちが引けてしまう。私は子どもの頃から走ることが嫌いだったが、沢山の走る人をみると少し怖い気がする。心拍数を120ぐらいまで上げるのは気持ちいいが、140以上にすると苦しくなってそれ以上続ける気がしなくなることが分かった。自分の好きなペースでやればいいのだと思う。私は、焦らず走らずゆっくりと歩いてゆくことにしよう。
 夏に入ってから、公園で咲く花の数は少なくなった。それでも、名前は分からないが、いくつかの樹木が花を付けている。地味な花が多いが、清楚な感じの樹木の花には好感がもてる。気に入った枝ぶりを見つけると、シャッターを押すことにしている。至る所走る人だらけなので、予定を早めて公園を抜け出し、いつもは通らないわき道で道草をしながら家に向かうことにする。
 私は子どもの頃から、寄り道をしたり道草をしたりするのが好きで止められなかった。30分の道のりを2倍3倍の時間をかけてやっと目的地に着くことが多かった。道だけではないかもしれない。人生でもまた寄り道をし脇道に逸れ、ひとの何倍もかかって道を辿っているのかもしれない。しかし、何に向かっての道草だろうか。行く先は勿論、死。誰もが平等に最終的にたどり着くのはこれしかない。おっと、先へ急ぎ過ぎた、いけないいけない。
 あちらこちらへと道草をしてしまったので、家に戻ったのは11時、3時間が経過していた。スローでのんびりしたいい散歩だった。