武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 定年退職記念の家族旅行に招待されて(画像は、焼津のホテルの脇で見つけたほころびはじめた八重桜)

toumeioj32006-04-11

 3月末日をもって30年以上務めた仕事から退いた。このことを記念して、今は巣立って別々に暮らしている子供たちから、記念の旅行に招待された。子供らが企画運営のすべてをはこんだ旅行は、これが初めて。我ら夫婦は喜んでこれに参加することにした。
 集合地点は、静岡県焼津市、今は、別々に暮らす家族が集合するのに地理的に都合の良い中間地点、そこに久しぶりに元家族のメンバーが全員集合した。このメンバー、元は一軒の住宅でほぼ20年近くともに暮らし、身を摺り寄せるようにして家族の濃密な葛藤を繰り返し、やがて雛たちは自立して住処を他所に移していった。
 親鳥は年の割には元気だが、職業生活から撤退する時期を迎えた。いささかの感慨なきにしもあらず。ホテルの部屋に集えば、あら不思議、たちまち以前のファミリーの雰囲気が復活、ふたたび濃密な時間が流れだしたことだった。
 集合したメンバーの寝顔をみながら、ふと思い出した詩がある。金子光晴が、1945年の2月に戦火を逃れた山中湖のほとりで書いた詩。核家族のいじらしい真情がそくそくと伝わってくる名作、記念にそっくり引用してみよう。家族の結束の不思議に思いをはせながら。

三点(金子光晴
   山中湖畔に戦争を逃れて


父と母と子供は
三つの点だ。
この三点を通る円をめぐって
三人の心は一緒に遊ぶ。


三点はどんなに離れていても
円のうえでめぐりあう。
三人は、どれほどちがっていても
円に添うて心がながれあう。わかりあう。


危い均衡の父と母とを、
安定させるのは子供の一点だ。
異邦のさすらいは
子供からさかれている悲しさだった。


父と母の魂は
あるとき、すさみはてていた。
長江の夕闇ぞらに
まよい鳥の声をききながら。


シンガポールの旅の宿で、父と母は
熱病で枕を並べながら。
モンパルナスの屋根裏の窓に
うらはらな雲行を眺めながら。


父は母をうろうと
企らみ、
母は父から逃れようと、
ひそかにうかがっていた。


だが一万里へだてた
遠い子供の一点がそれを許さなかった。
三点をつなぐ大きな円周は
地球いっぱいにひろがった。


ニッパ椰子をわたる
夜半のしぐれに
父は子供の呼声をきいた。
それはバッパハの岬の泊。


その時、フラマン通りの鎧戸のうちで、
母は、不吉な夢をみた。
うなされたような夜の船出で
こころもそらに母はかえってきた。


ぢれぢれとして待ち焦がれつつ
三つの点はちぢまってゆき
やがて、しまいこまれた。
小さな一つのかくれ家に。


父は毎日、餌をさがしにゆき、
母は、煙りのように原稿紙をかさね、
子供は背丈がのびていった。
三点をよぎる円は、こよなき愛。


この宿命的な肉親のつながりを
年月よ。ゆがめるな。
この透明な輪を、稀な完璧を、
戦争よ。めちゃくちゃにしてくれるな。


父と母と、子供は
三つの点だ。
この三点を通る周のうえで
三人の心はいっしょにあそぶ。


母よ。私たちは二度ともう
子供の一点を見失うまいよ。
さもなければ、星は軌道からはづれ、
この世界は、ばらばらにくづれるからね。


三本の蝋燭の
一つの焔も消やすまい。
お互いのからだをもって、
風をまもろう。風をまもろう。

 ある時代から、人類は家族という最小の共同体を営み、その形態のなかに種の再生産と知と情の再生産の託してきた。家族を形成した社会は、今のところ繁栄を続けている。家族が、かつてのように家という形態に集約されて、社会や国家に利用される日が来ないことを祈る。