武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『手紙』谷川俊太郎詩集(発行集英社)

toumeioj32006-04-06

 先日、古書店をぶらついていて100円本のコーナーで谷川俊太郎の詩集「手紙」を見つけ、即座に買うことにした。理由は、安かったからでもあるが、谷川俊太郎の詩集には、外れがないからだ。散文集には、時には感心しないこともあるが、こと詩集に関しては決して外れたことがない。この国の現役の詩人の中で、谷川俊太郎ほど当たり外れのない詩人はいない。
 さっそくひも解いてみた。CD版の全詩集で一度読んだことがある詩集だが、一冊の詩集の形で読むと、再び詩を読む喜びに浸される。折に触れて、いろんなメディアに発表されたものを集めて一冊にしたものだが、どの詩編にも新鮮な言葉の発見と折々の感興を鮮やかに定着した切れ味抜群のフレーズがこぼれんばかり、なんとも心地よい。こんなに自在に言葉が紡ぎだせる才能は、天与の詩人という以外に表現しようがない。
 評することの無理を承知で内容に少しふれてみよう。はじめの10編「時」「手紙」「あなた」『接吻の時」「梨の木」「私の女性論」「裸」「もうひとつのかお」「奏楽」「肩」は、一組の男女の関係を想定して書かれた恋愛詩。男と女の関係をめぐる決して甘さに流れない透明度の高い恋愛詩。馥郁と香る大人の渋さがなんともいえない。
 これらの苦くて透明な愛の詩編に続くのは、折に触れて書かれた日常から救い上げられた叡智の欠片、生活を鋭く切り裂く明察の煌めきのような詩の一群。「道二題」「宙ぶらりん」「未知」「水脈」「鎮魂」「サーカス」「終わりのない地平」「二十行の木」「種子」「陽炎」「色の息遣い」「音楽」「疲労」「carpe dieem」「眼」「途次」「アルカディア」「息」これらの18編の詩群は、言葉の英知と洞察が煌めくばかりに散りばめられていて、思わず眼をみはるフレーズがぎっしり。表現形式の実験と思われるもの、旅行の印象を散りばめたと思われるものなどなど、変化に富みページをめくって次の詩へ読み進むのにスリルがある。
 そして3篇の追悼詩、「魂の戦場」「音楽の道」「五月に」。こんな風に追悼されるなら、死ぬのも怖くないかもしれないと思ってしまいそうなほど、暖かく明晰な思いやりが言葉の端々から溢れてくる。死者を追悼する言葉として傑出した名品と感じ入った。谷川俊太郎の言葉は、今や、死という悲劇を突き抜けて視界を広げる洞察力を帯びてきたようだ。全く、素晴らしい。詩を受容する大らかな境地に詩の言語が到達しつつあるような気がする。これはこの国の詩として画期的なことなのではないか。
 最後に「こどもと本」「うたびとたち」。子ども達への素敵な読書の呼びかけと、与謝野晶子石川啄木上田敏北原白秋の近代4詩人への鮮やかなオマージュが締めくくり。
 読後感は、何冊もの何種類もの本を堪能したような満足感。やっぱり谷川俊太郎の詩集には外れはなかった。折に触れてペラペラとページをめくるお気に入りがまた増えた。