『人はかつて樹だった』 長田弘詩集
*p1*[読書][詩の鑑賞] 『人はかつて樹だった』 長田弘著 (発行みすず書房2006/7/10)
1冊の詩集から、1行の気に入ったフレーズ、1篇の気に入った詩が見つけ出せれば、その詩集を手にした甲斐があると思う。勿論、たくさんの気に入った言葉が見つかれば、それはお買い得の1冊になるというもの、今回ご紹介する長田さんのこの詩集からは、いくつもの気に入った言葉が見つかった。買って損はないとお勧めしたい。
全体の構成は、2部に分かれていて、1部には「えるふ」という雑誌に連載した、樹や自然をテーマに爽やかな思索を繰り広げた透明感のある10篇の詩編がまとめられている。
2部にも自然をテーマにしたものが多いが、対象はもっと広く、人の世の切ない出来事を、鮮やかに切り取った11篇の詩編が収められている。
いずれも、難解な語句をほとんど使わず、一読してナルホドと納得できる。気になる語句を読み返すと、奥行きのある深い意味が浮かび上がって、心に染みいるような感興を味わうことが出来る。一貫して言葉の通奏低音のような淡い哀調が流れており、まとまりのある良い詩集だなと言う印象を受けた。
気に入ったフレーズを幾つか引用しよう。
自由とは、どこかへ立ち去ることではない。
考え深くここに生きることが、自由だ。
樹のように、空と土のあいだで。 <空と土のあいだで>より
樹になったつもりで、しっかりと立っている大きな老木を見ていると、確かにこんな気持ちになることがある。
タンポポが囁いた。ひとは、
何もしないでいることができない。
キンポウゲが嘆いた。ひとは、
何も壊さずにいることができない。
草は嘘をつかない。うつくしいとは、
ひとだけがそこにいない風景のことだ。 <草が語ったこと>より
豊かな自然の中にいて、人って鬱陶しいなと思うことは、確かにある。この気持ちを草に語らせたやり方は、スンナリと納得出来るが、どこかに自虐的な苦い味が残る。草を噛むと確かに苦い味が残る。
年と共に言葉が熟して、よくなる詩人と、言葉が痩せてわびしくなる詩人がいるが、長田弘の最近の詩は本当に味わい深くなってきた。これからが楽しみだ。