武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『まど・みちお連作詩集全6巻』 (発行銀河社1974/10〜75/4/10)


何時頃手に入れたか覚えていない。昔、この全6巻の連作詩集を読み、まど・みちおさんの詩人としての凄さを思い知らされた。『てんぷらぴりぴり』、『まめつぶうた』に続く3冊目の詩集が、6冊セットの連作詩集というのは異色だった。そして、何よりも、詩人としての全面的な才能の展開だった。この詩集でまど・みちおさんの現代詩人としての存在が確立したと言えるのではないか。以下にその構成を紹介したい。
1 植物のうた 「木と木の実」のうた9篇、「庭の草と花の木」のうた8篇、「野山の草」のうた12篇で構成されている。植物をとらえる感受性の広さと深さと鋭さ、想像力の思いがけない飛躍、童謡詩人だと思っていた思い込みが、この一冊で吹き飛んだ。
2 動物のうた 「虫」のうた15篇、「鳥とけもの」のうた14篇。小さな生き物に対する、何とも言えず鋭くて優しい眼差しはどうだろう。アリ、カ、ミミズ、ナメクジ、カマキリの子などをかくも的確に素敵に、詩の言葉ですくいあげることは、他のだれにも出来ないだろう。
3 人間のうた 人間のうた10篇、おとなのうた9篇、自分たちのうた10篇。まど・みちおさんは、きっと人間が苦手なのだろう、諧謔と社会批評の眼が光り、人々の営みをとらえる言葉には苦い味がある。動物や植物を描くときの瑞々しさが影をひそめほろ苦い。
4 物のうた 「大きい物」のうた9篇、「きれや紙の物」のうた10篇、「小さい物」のうた10篇。私たちの身の回りにある品々、小物類、構造物などを、少し諧謔を交えながら描きだす言葉の何と自在なこと、素晴らしい観察眼に脱帽するほかない。
5 ことばのうた 「ことばあそび」のうた10篇、「ことばについて」のうた10篇、「いろいろのころば」のうた11篇。この巻の詩篇はとりわけシュール、まど・みちおさんの実験精神が嬉しそうに飛び跳ねている。この巻だけは写真詩集ではない、何と、まど・みとおさんが描いたイラストで装幀してある。著者の日本語に対する感覚が如何に鋭敏か、よく分かる詩篇が並んでいる。言語感覚の万華鏡のような感じがする。
6 宇宙のうた 人でははない!14篇、えいえんにゆたかに14篇。身の回りの出来事などを題材にした詩篇、<宇宙のうた>と題するほど大げさな内容ではないが、想像力の伸び広がる先に、宇宙的な広がりが秘められている気がしないでもない。
私的な独断では、1巻と2巻と5巻が独立した詩集になっても傑作といえる気がする。この6巻詩集を読んだことにより、まど・みちおは私の中で、最大級の現代詩人として定着した。今から40年近く前の私の読書史の中の最大級の出来事である。
私のお気に入りの1篇を紹介したい。この詩を読んでから、私は無心でイチジクを食べることが出来なくなってしまった。イチジクの実を割るとピンクの果肉を見て、必ずこの詩を思い出す。耳元へ持っていって何か聞こえないか耳をすましてみることもある。

イチジク


合唱隊の少女が
1000人
ひっそりと ねむっています


口のふさがった
このラッパの中で
ビーズのように ぎっしりと
からだを よせあって


いま きいているのです
生まれるまえに ならったきり
一ども うたえなかった歌を
ゆめの中で うたいながら


こえかぎり
耳を すまして