武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 詩人鳥見迅彦の<詩集・山の三部作>(1)

 若い頃、強く引かれた詩人の一人に鳥見迅彦(とりみはやひこ)がいる。最近、ふと思い出して調べようとしてみたが、忘れられた詩人らしく、情報がほとんど入手できなかった。分かったことは僅かしかない、列挙してみよう。
明治43年(1910年)2月5日神奈川県に生まれ、横浜商専(現横浜市立大)卒、平成2年(1990年)5月25日に80歳で亡くなっている、本名は橋本金太郎。
②戦前に非合法活動を理由に何回か逮捕されて入獄、きびしい拷問と監禁を経験したらしい。その体験を背景にした第一詩集「けものみち」で、昭和30年H氏賞を受賞している。
③詩集は、「けものみち」「なだれみち」「かくれみち」の3冊を生前に発行したのみ。
④山岳関係の詩の編著に「山の詩集」という同じ書名で雪華社版と角川書店版、串田孫一との共編著「友に贈る山の詩集」など、計3冊がある。
⑤雑誌「詩学」「アルプ」「ちくま」などにたびたび寄稿しているが、詩集以外の文章がまとめられた書籍はない。
国会図書館検索では、以下の10点がヒットした。参考のために引用しておこう。

1. かくれみち / 鳥見迅彦. -- 文京書房, 1983.7
2. けものみち / 鳥見迅彦. -- 昭森社, 1955
3. 現代詩鑑賞講座. 第6巻 / 伊藤信吉. -- 角川書店, 1969
4. 現代日本名詩集大成. 第10. -- 創元社, 1960
5. 戦後詩大系. 3 / 嶋岡晨,大野順一,小川和佑. -- 三一書房, 1970
6. なだれみち / 鳥見迅彦. -- 創文社, 1969
7. 日本現代詩大系. 第12巻. -- 河出書房新社, 1976
8. 山の詩集 / 鳥見迅彦. -- 角川書店, 1968. -- (エーデルワイス・シリーズ ; 2)
9. 山の詩集 / 鳥見迅彦. -- 雪華社, 1967
10. 山の詩集 / 串田孫一,鳥見迅彦. -- 社会思想社, 1967. -- (現代教養文庫)

手元には3冊の詩集があるので、著者が言うところの「山の3部作」を取りあげ、鳥見迅彦の詩的成果を紹介してみたい。忘却の彼方に消えてしまうには、いささか惜しいような輝く言葉を紡いだ人だった。

第一詩集『けものみち』は、1955年5月に昭森社より発行された。あとがきに44年から55年までの12年間の作品から41篇を選んだとあるから、34歳から45歳頃の作品と言うことになる。詩人としての出発は早くない。そのせいか、表現の熟成度、作品の完成度は高く、自己表現のスタイルはすでにここでは確立されている。
内容は3部構成、第1部「手錠と菊の花」は、理不尽に抑圧されたり弾圧されたり、陵辱されたり虐殺されたりする弱者の側に身を置き、過酷な極限状況をリアルに追求した詩篇が10篇。
戦時下の逮捕と拷問の体験が、時を経てこのような詩表現に凝縮したものか、生あるものを包囲する不条理の感覚が痛々しいまでのリアルさで定着されている。以後、この主題とスタイルは、薄められ抽象化されて、登山シーンなどに繰り返し現れ、鳥見迅彦の詩表現の通奏低音となる。ここに彼の表現の原質がある。
第2部「山小屋」は20篇、山岳における登山を主題にしたもの。山の風景を描くよりも、過酷な山岳地帯を背景に、その中で行動する人間の痛切な生存のあり方をクローズアップしたものが多い。登山シーンのワンカットに焦点をあて、生の実存をとらえ返そうとした作品群、印象に残る名品が並ぶ。山岳に分け入る行為者の過酷な視座、ここに鳥見の第2の原質がある。
第3部の「一粒の乾葡萄」は11篇、ここには1部にも2部にも入りきらなかった詩篇がまとめられたもよう。これまでの主題と行動が明確な輪郭を描くような、作品としての強さに欠け、やや見劣りがする。作者がためらい逡巡して、詩としてまとめきれなかった作品だろう。第3部を、私はあまり高く評価出来しない。
鳥見迅彦は、1部における生の極限状況に焦点を当てたような痛切な作品を、その後、作り続けることはなかった。この国が少しずつ戦争体験を形骸化させていったように、生の危機的な有り様をこれほどまでに象徴的に凝縮してイメージ化した詩篇は、創作の背景を喪失したということだろう。ピークは一気に来て去ってしまった。
その代わり、2部に登場したような山岳における登山行動をドラマとした、暴力的ともいえるシーンが今後繰り返し再現されるようになり、鳥見迅彦の作品において、登山を扱った山の詩作品群は、類例のない存在感と輝きを放つようになってゆく。高らかに登山を歌い上げる山の詩人が輝きを増す。
第一詩集『けものみち』から、その冒頭の詩篇を引用してみよう。

手錠と菊の花

この手錠をはずしてくれたまえ
はずしてくれたまえ
この手錠を私にはめたのはそこにいる黒い服の男だが
その男のうしろで
あなたは目をほそめ
きいろい菊の花の小枝で顔をかくし


  ああねじきれるものならねじきりたい
  ねじきって机の上へぽんとおいてさっさとここからでてゆきたい
  左手くびを右手でさぐり右手くびを左手でさすり
  そうして山の尾根みちを風にふかれてあるきたい


けれども黒い男はあやつり人形のように私にちかづき
きやあきやあさけんで私を打ったりした 


  私はさっきたしかに見ていたのだ
  私の両手がわるいことをした子供のように押さえられてしまうのを
  泣きそうになって泣かないでいる子供のようなそのときの自分の両手のありさまを
  パチンという音がピリオドであった
  ひいやりと重みがあった


きいろい菊の花の小枝で顔をかくし
あなたはなぜそんなにいつまでも声なくわらつているのか
私は菊の花のにおいはきらいです
この手錠をはずしてくれたまえ
もういちど私はしずかにいいます
この手錠をはずしてくれたまえ

花の小枝で顔をかくす<あなた>や<黒い男>は、戦前の天皇制機構を象徴しているのは明らか、そして圧倒的に無力な<私>、ここに描き出されている構図は、おそらく鳥見の青春時代につながっている。だが、革命や抵抗の論理で自己防衛する様子が全く窺えないのはどうしてなのか。この構図を人と動物の関係に移行するとどうなるか。もう一篇、動物に自己を投影した作品を引用してみよう。

むささび》  

 落葉と雪とかわるがわる。山奥の秋は疾い。たちま
ち林は巨きな黒い骨の棒縞。
      ●
 黒い林の木木の間を黒い小さな人がゆく。蝋燭の消
えた回燈龍のように黒い林はまわり。黒いその人影は
木木の間にいつも小さく見えかくれした。
      ●
 梢高く。むささびが。小校をちぎってあそんでいる
と。パッと照らす懐中電燈。むささびは。きょとんと
して。まぶしそうに。鉄砲などという飛道具を人間が
持っていても。
      ●
 むささびはくるくるとまわって。こわれたこうもり
傘のように落ちてくる。落ちて。よちよち。かわいら
しい目をして。自分が不意に傷ついた不思議さをたず
ねるように。黒い人の足許へ。その顔を。黒い鉄砲の
台尻が叩きつぶす。
      ●
 石油ランプの灯。囲炉裡の炎。黒い人たち。どぶろ
く。むささびの肉はうまい。鹿よりも熊よりもうまい。
兎よりもうまい。むささびのカツレツ。むささびのテ
キ。串焼き。じゅうじゅうあぶら。舌なめずり。むさ
さび鍋。むささび汁。歌。手拍手。むささび踊り。ヘ
ベれけ。
      ●
 へべれけで眠る頭の上を。黒い林の回燈龍がまわる。
黒い小さな人影。木木の間を。むささびのあのかわい
らしかつた目つき。よちよち。こわれたこうもり傘。
黒い鉄砲。

ここでも明らかに<黒い人影>は権力を意味し、<むささび>に投影された不条理な悲しみには、作者の屈折した思いが塗り込められている、だが、この主題はこれ以降封印され、直接的には二度と詩の主題として再現されることはない。代わって登山が主なテーマとなり鳥見の世界が展開する。
それでは、第一詩集のもう一つの主題、山岳詩篇から一篇を引用してみよう。

山小屋》  

その内側に重石がつるしてある。
ギイーッときしんで、扉はひとりでに閉まる。
夕闇の沁みこんだ一枚の落葉を肩にのせて、その男は入ってきたのだ。
誰もいない。


その男の顔をごらん。
灰色の鼻、黒い唇、額は緑と赤のだんだら。
どすんと尻餅をついて、
大きくみひらいた眼は紫。


山小屋の屋根裏からは煤の珠数がいくつも垂れさがり、この男をのぞきこむ。
男は、うつむいて、山靴の紐を解きにかかる。そして横たわる。
だいぶ疲れているようだな。
塩をふいた眉毛をごらん。溶けてゆく顔をごらん。


  担架はこの男のまどろみをのせてどこへゆくのだろう。
  かわいそうに、またあのものさびしい逆光のなかへか?


    のぼりくだり長かつた山みち。
    うしろからせきたてた斜の時間。
    犬のように飲んだ枯草の下の水。
    ちっぽけな岩壁。
    かじかんだ指。


担架は冷えきったまどろみをのせて
いつそう暗くなつた山小屋へ戻つてくる。そして板敷の上にしずかに置かれる。


この男がどこから逃れてきたのか、たしかなことはわからない。
犬きな玩具箱のなかからか?
ひからびたパンの端からか?
とまつた時計の下からか?
それとも牛乳くさい接吻のあいだからか?


きのう最終列車にさむざむと乗りこみ
目をつぶったまま運ばれて
夜明けに小さな停車場に着いた。それから
自分を初冬の錆びた針でつきさしたのだ。この男は。


  けれどもいまはもう安心。
  扉は閉つているね?


  戸ロでさわいでいるのは、あれは後をしつこくつけてきた風。
  重石は黒い滑車からまっすぐにさがっている。
  だれの爪もここまではとどくまい。


さあ、ランタンに灯を入れよう。
土間のいろりに薪を燃そう。そして
煙と炎を相手に教義問答をしよう。


  ほんとに大丈夫だね?
  誰もここまでは追いかけてこられないね?

山小屋に一人やってきた男とは、作者の自画像でなくて何だろう。単独行で山行きをする作者の心象風景の何と荒涼としていること。この詩集の山岳詩篇には救いの影はほとんど見られない。修行僧のような表情を滲ませた山岳詩篇にも、やがて心癒されたものの安らぎが訪れる日も来るが、それは14年後の、第2詩集を待たねばならない。(続く)