武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 詩人鳥見迅彦の<詩集・山の三部作>(3)

第三詩集『かくれみち』は、1983年に文京書房から発行された。第二詩集からまたしても14年後、作者73歳の時の詩集である。第2詩集「なだれみち」で、精神と身体に纏い付くような呪縛から自らを解き放って自由な言語空間にたどりついた詩人の生涯は、やがて老年期の足音を聞く時期を迎えた。
鳥見迅彦の最後の詩集、本書では全45篇が、以下の7グループにまとめられている。

・漂泊の日―9篇
ワタスゲに寄せて―9篇
・十文字峠―10篇
・クララ―6篇
・この世から―6篇
・雲海の渚―4篇
・鳥見植物園―1篇

基本的には山に寄せる想いは終生変わらないが、多分60歳を過ぎた頃から、鳥見迅彦の詩からは、一切の無駄な言葉がなくなった。「漂泊の日」と題されたグループには、付け加える言葉も、取り去るべき言葉もない、緊密で必要十分な言葉が整然と並んでいる。しかも、かなり厳しい表情をして唇を引き結んで渋面を湛えたような、苦いが芳醇な味がする燻し銀の詩篇が並ぶ。味わい深い老年期の詩群の始まりである。作品を引用しよう。

晩秋の人》 


ひとり最後に立ち去る者として
山荘の裏ロから出て
その扉に閉鎖の釘を打つ
晩秋の石をつかんで


隔絶を棲むことに苦しんだ日日よ
さらば閉じよ
書物とペンとからたちのぼった妄執よ
この暗い密室を柩とせよ


白樺の百千枚の金色のカードは
とつぜん自らを空に撒きちらした
落葉松の無数の錆びたレコード針
燧雨の音をたてて地上にふりそそいだ


大きな火山の頂からは白い煙が
ものうげに立ちのぼっていた
その遠景は葉を落した疎林の向うにあって
無用のもののための焼却炉を思わせた


文字に変えた思索を袋に入れて背負い
すでに寒さに傷んだ腰をかがめてよろめきながら
汚染の都の市へと
苦渋を運ぶ人

滞在を打ち切って都会へ帰る<山荘>の暗喩の透明な奥深さ、そこには幾重にも積み重なった歳月の蓄積がある。

漂泊の日》 


たちまちすさまじい雷雨がやってきた
カミソリ尾根の刃の上で わたしは
うつぶせに身をちぢめる
稲妻がわたしを打ち雷鳴がわたしを打ち
豪雨がわたしを打った


打ちなさい 打ちなさい
打たれるに価するわたしだ
わたしはけっしてゆるされることがない
なぜならわたし自身がわたしをゆるさないから


しかし雷雨は暗い雲を率いてやがて去っていった
濡れ犬のようにわたしは身をゆすった
天には夏の空の青い一部分がすでに見えた


逃亡の旅
漂伯の日日
連続する山みち


山小屋はわたしが隠れる場所
偽りの署名と偽りの表情とで
ひそかな安堵とつかのまの休息とを
わたしは其処で盗む

「ひそかな安堵とつかのまの休息」を取る<山小屋>のイメージが、鳥見の詩の中ではまるで宗教的な意味合いを帯びた場所のような深みを持つ。現代に形を変えて山岳信仰が蘇ってきたかのような不思議な味わいである。これらの詩篇の背後に、遙かに遠ざかった青春の華やぎと徐々に忍び寄ってくる死へのおののきが横たわっている。
この「漂泊の日」の詩群には、ほかにも繰り返し読み返して飽きない、私の好きな詩編が何編もある。緊迫感があるのに安らぎを覚えるという、希にみる深い味わいの詩になってきた。
次の「ワタスゲに寄せて」9篇「十文字峠」10篇は、いずれも一転してやさしい。峻厳な山岳地帯を去り、低山や里山の自然に帰ってきたような穏やかさにつつまれる。ふらりと近所に散歩に出たような気楽さの中に、寄せる思いはやはり軽くはない。お気に入りの1篇を引用しよう。

雑木林ヘ》 


どこか遠くの
雑木林がいいな
ひそかにひとりで
そこへ行こう


去年の おととしの さきおととしの
散りつもる朽葉のにぶい弾力
幾つもの春秋の重なりを踏み
自分の今日をたしかめよう


クヌギやナラやハンノキや
それぞれにそのうつくしい名があるのに
雑木呼ばわりをしていいのかしら
つつましい木々たちの名のあがめられんことを


木々は木々
自分は自分
めぐる木々の肌にわが掌を触れながら
自分の明日の小径を見つけよう


赤やむらさきや白縁の
新芽の玉がまぶしい
ツィッビ ツィッビ ツィッピ……シジュウカラは梢に高く歌い
無名の羽虫はよっぱらいのように低く飛ぶ

この詩を読むまで、私はこんな想いを抱いて雑木林を歩いたことはなかった。雑木林に対する思いがこれで一気に深くなった。
これらの二つのグループに納められた19篇の詩篇には、折に触れて訪れてきた詩情を、磨き抜かれた積年の技法で鮮やかにまとめた小品と言った感じがあり、気持ちを楽にして読み進むことが出来る。これまでの鳥見迅彦を読んできた読者の中には、物足りない想いのする者もいようが、このあたりで鳥見の詩は緩やかな低迷の道に踏み込みはじめたと言うべきかもしれない。
次の「クララ」6篇は、第2詩集「なだれみち」のクララ詩篇の続き。愛らしいエロティシズム漂う小品。明治男の老年期のエロティシズム。
次の「この世から」6篇は、亡き友人を追悼する作品など、死の周辺をあつかうものが集められているが、尾崎喜八を追悼する詩篇などには、力は入っているが何故か空回りするような物足りなさがある。続く「雲海の渚」「鳥見植物園」は、作品数も少なく、詩にも力強さがない。この詩集では、後半になると言葉が内側から輝き出すような力がなくなり、表現にむかう気力が衰えてきたことが伺われる。老化のドキュメントとして読めるが、私には切ない。
この位置から振り返ってみると、この第3詩集のはじめあたりが、鳥見の詩的表現の絶頂期だったのだろう。詩の表現も、限りなく向上するものではなく、ある時期をピークとして、書けなくなったり衰えたり、年齢と共にやってくる衰退の過程も避けて通れないということか。
私にとっては長い間、鳥見迅彦からはすこぶる学んだことは多かった。これからも繰り返し、折に触れて3冊のどれかを手に取るに違いない。蔵書の処分から、最後までこれからも残り続けることだろう。鳥見迅彦は、山岳地帯に詩の表現の豊かな収穫を築いた個性派詩人だった、墓碑銘を建てるとしたらどこが相応しい場所だろうか。これで鳥見迅彦の紹介を終わります。読んでくださった方、ありがとうございました。(完)