武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 石垣りんの四詩集のご紹介


ハルキ文庫版の「石垣りん詩集」を手にして、これまでまとめて読んだことのなかった石垣りんの4冊の詩集を急に読みたくなった。折に触れて読み、気に入っていた戦後詩人だったが、これまで総括的に読んだことはなかった。読んでみて、これは得難い経験となった。心の深いところにしみ通るような、豊かで奥行きのある感動を何度も味わったので、是非紹介したい。
『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』(発行書肆ユリイカ1959/12)著者39歳の時の第1詩集。長い間に書き溜めていたと思われる幅広い詩篇を5部に分けて収録している。アンソロジー「銀行員の詩集」に収録された作品を中心に、社会性とメッセージ性の強い作品が1部と2部にまとめられ、3部から5部には私的色彩の濃い詩篇が、後ろへゆくほど増えてくる。前半のメッセージ性の強い労働者の立場に立った、スックと姿勢良く立っている感じのするよく知られている作品よりも、後半の生きる重荷に背を屈め、腰を痛めて手術を受ける原因になったような、私生活が影を落とした作品群に好感をもった。この詩集の中から一篇だけを選ぶとしたら、私なら路地の犬に自分を投影した奇妙な味のする一篇を選ぶ。以下に全編を引用してみよう。描かれている老犬と<私>とのリアルで不気味な交流に注目してほしい。

《犬のいる露地のはずれ》 


私の家の露地の出はずれに芋屋がある、
そこにずんぐりふとつた沖縄芋のような
のそりと大きい老犬がいる。


人を見てやたらに尻つぽを振るほど
期待も待たず、愛嬌も示さない、
何やら怠惰に眼をあげて繩を追つたり
主人に向かつてたまに力のない声で吠える。


犬は芋屋の釜のそばに寝ていたり
芋袋を解いた荒縄で頚をゆわかれたりしている。


その犬
不思議に犬の顔をしているこの人間の仲間
に、私はなぜか心をひかれる。
ことに夜更け
誰もいなくなつた露地のまん中に
犬はきまつてごろり、と横になつている。
そのそばを風呂の道具を片手に十一時頃
かならず通るのだが、


今日という日がもう遠ざかつていつた道のはずれ
ながながと寝そべる犬のかたわらに
私はそつとかがみこむ。


私は犬の鼻先に顔をよせて時々話しかける、
もとより何の意味もない
犬の体温と私の息のあたたかさが通い合う近さでじつと向き合つている
犬の眼が私をとらえる
露地の上に星の光る夜もあれば
真暗闇の晩もある。


私は犬に向かつて少しの愛情も表現しない
犬も黙って私を見ている
そしてしばらくたつと、私が立ちあがる
犬が身動きする、かすかに、それがわかる
私の心もうごく。


この露地につらなる軒の下に
日毎繰り返される凡俗の、半獣の、争いの
そのはずれに犬が一匹いて私の足をとめさせる
ここは墓地のように、屋根がない
屋根のある私の家にはもう何のいこいもなくて。


露地のはずれに犬がいる
それだけの期待が 夜更けの
今日と明日との間に私を待っている。

労働運動(石垣りんさんは組合の役員だった)で語られる括弧付きの「生活」ではない、不気味な日々の暮らしの奥に蠢く剥き出しの生活の有り様を、生々しくリアルに定着していて、思わずドキリとしてしまった。犬と<私>が向き合う空間に、名付けようもない庶民の実存が定着されていて見事な一篇になっている。石垣りんの皮膚の一番柔らかい部分に触れた感じがした。この過酷な疎外感には、迷路の行き止まりに辿り着いた時の、沈殿物のような安堵感がある。この詩篇に注目する人はあまりいないが、石垣りんは、ここから浮上してきて詩人となった人だ。

『表札など』(思潮社1968/12)著者49歳の時の第2詩集、69年年のH氏賞を受賞した。何冊も詩集をだす詩人には、2冊めで表現者としての自己を確立する人が多い気がしているが、石垣りんもその一人、第1詩集が抱えていた言葉の饒舌なふくらみをそぎ落とし、無駄のない骨格のような言葉が何の支えも要らずに確固として建っているような力強い作品が多くなった。傑作と呼ぶしかない名品が並ぶ。教科書に採用された作品が多いのも肯ける。この中から1編を選ぶのは難しい。どうしてもベストファイブ、ベストテンを選びたくなる。一切の無駄を省いて、鋭利な批評精神が燻し銀のように屹立している1篇を、目を瞑って選び出した。ではどうぞ。

《ちいさい庭》 


老婆は長い道をくぐりぬけて
そこへたどりついた。


まつすぐ光に向かつて
生きてきたのだろうか。
それともくらやみに追われて
少しでもあかるい方へと
かけてきたのだろうか。


子供たち―
苦労のつるに
苦労の実がなつただけ。
(だけどそんなこと、
 人にいえない)


老婆はいまなお貧しい家に背をむけて
朝顔を育てる。
たぶん
間違いなく自分のために
花咲いてくれるのはこれだけ、
青く細い苗。


老婆は少女のように
目を輝かせていう
空色の美しい如露が欲しい、と。

私の母が、父を亡くして一人になったとき、野菜を育てるのを最後の慰めにしていた。植物は、誰が育てても花を咲かせ実を付ける。高齢になって自分一人生き残ったときの、恐ろしいほどの孤独は、著者が未来に投げかけた自画像だろうか。<子供たち>のフレーズが何ともやりきれないが、これが詩人に見えた世の真実だった、恐ろしい批評眼だ。

『略歴』(花神社1979/5)*著者59歳の時の第3詩集、第四回地球賞を受賞。四部に分けて収録されているが、ブロックに分かれているだけで見出しなどは付いていない。第2詩集が詩人石垣りんのピークだとすれば、この第3詩集は山頂を越えた者の、緩やかな下り坂だ。枯れる年齢でもないので、詩集を充実させるのに難しい年齢かもしれない。子どもの頃の回想が、著者の厳しかった人生の一端を覗かせる印象深い1篇を引用しよう。

《村》


ほんとうのことをいうのは
いつもはずかしい。


伊豆の海辺に私の母はねむるが。
少女の日
村人の目を盗んで
母の墓を抱いた。


物心ついたとき
母はうごくことなくそこにいたから
母性というものが何であるか
おぼろげに感じとった。


墓地は村の賑わいより
もっとあやしく賑わっていたから
寺の庭の盆踊りに
あやうく背を向けて
ガイコツの踊りを見るところだった。


叔母がきて
すしが出来ている、というから
この世のつきあいに
私はさびしい人数の
さびしい家によばれて行った。


母はどこにもいなかった。

石垣りんの寂しい少女時代が目に浮かぶようだ。「村人の目を盗んで/母の墓を抱いた」という情景はいままで見たことがない。著者ならではの胸の奥がキリキリ痛むようなフレーズである。

『やさしい言葉』(花神1984/4)著者64歳の時の第4詩集。「坂道」という題の詩篇黒田三郎に「下り坂」と評されたことをサラリと書いてあって笑ってしまった。確かに、第2詩集「表札など」のあと、石垣りんの詩表現はゆるやかに下降し続けてきた。だが、登山のときでもそうだが、山を下るとき山頂を背後において、かえって裾野に拡がる豊かな景色が楽しめることもある。詩の歴史を飾るほどではないが、年齢と共に力が抜けてなかなか良い佇まいの詩篇に行き当たる。一番気に入った1篇を引用してみよう。

《晴れた日に》 


車一台通れるほどの
アパートの横の道を歩いて行くと
向こうから走ってきた
自転車の若い女性が
すれ違いざまに「おはようございます」
と声をかけてきた。
私はあわてて
「おはようございます」と答えた。


少しゆくと
中年の婦人が歩いてくるので
こんどはこちらからにっこり笑って
お辞儀をしてみた。
するとあちらからも
少しけげんそうなお辞儀が返ってきた。


大通りへ出ると
並木がいっせいに帽子をとっていた。
何に挨拶しているのだろう
たぶん過ぎ去ってゆく季節に
今年の秋に。


そういえば私の髪も薄くなってきた
向こうから何が近づいてくるのだろう。
もしかしたらもうひとりの私だ
すれ違う時が来たら
「さようなら」と言おう
自転車に乗った若い女性のように
明るく言おう。


さり気ないフレーズを積み重ねながら、ある晴れた秋の日の高齢者の感慨を見事に掬いとっている。やはり石垣りんならではの手腕と言うべきだろう。ほかにも少ないながら、気持ちの良い批評精神がきらりとする詩篇が、時折顔を覗かせる詩集となっている。
一冊を選ぶなら第2詩集「表札など」、少しバラツキがあるのでハルキ文庫の「石垣りん詩集」あたりを手元に置くのがコストパフォーマンスから見てベストだろうか。繰り返しになるが「表札など」における石垣りんの言葉の冴えは素晴らしい。