武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

『大森澄詩集』(宝文館出版1984/1)


 池波正太郎の銀座日記を拾い読みしていて、前から気になっていた大森澄という元巡査をしていたという人の詩集を読み、一気に引き込まれてしまった。池波は、日記の中で「この人の詩境は他の追随を許さぬものがあるのだ」と絶賛、珍しく気に入った一篇をそっくり引用するほどの持ち上げぶりなのだ。どんな詩集だろうと、ずっと気になっていた。
 調べてみると「銀座百景の86年7月号」に掲載された記事なので、直前の日本サミット開催時期とあわせると、86年5月頃の日記のようだ。池波が著者から贈られた詩集とは、おそらく84年発行の本書だったのではないか、内容的にも矛盾はない。
 さて、本詩集の中味に入ろう。160ページあまりの厚くはない詩集だが、全ページ2段組で、4部構成の全詩集のようなまとめ方になっている。あとがきを参考にすると、40歳頃から詩を書き始めたとあるので、35年の定年退職後にまとめられたと考えると、ほぼ20年間の詩作の総決算のような詩集らしい。
 第一部は、なんと「ブタバコ」留置場を舞台にした、犯罪を犯してしまった庶民の哀感を、看守の立場からとらえた作品群。実際の話なのか、フィクションなのか分からないが、表現者の視座のあり方が余りにもユニークなことに吃驚した。読み進むと、看守以外の普通の巡査の立場からから書かれた作品もあるので、警察官という職業に軸足をおいた作品群だということが分かってくる。意識的にお巡りさんの立場から書かれた詩篇など読んだことがなかった。
 自らが権力者の位置にいることを相対化しつつ、庶民の世界からも疎外された人々を、厳しく優しく見つめる作者の寡黙な呟きの何と意味深いこと。人一倍感じやすい心をもつこの作者にとって、35年間の万年平巡査の生活は、辛いことの多かった歳月たったのだろう、詩でも書かないとやっていられなかったのかもしれないと思ったことだった。
 第二部は「もぐら」、おそらく巡査という立場を離れた一般人としての心境を、折に触れて日常の出来事、動植物や季節の風物などに託して詠った作品群。飄々として悲しくも軽妙な味があり、小さなスプーンで透きとおったスープを掬いあげたような爽やかな佳作が幾編もみつかった。「もぐら」と題された2行詩を引用してみよう。

とぼけているのではありません
これで精いっぱい生きているのです

ほとんど目が見えない地下生活をしているモグラに託して何を言いたいのか、分かるような分からないような、不思議な味わいのある2行詩です。不器用にしか生きられないと思ったときに、器用に泳ぎ回っている輩に向かって、呟いて見たくなるような台詞ではありませんか。人生の哀歓を詠って、すんなりとこちらの気持ちに触れてくるのは、表現の質に無理のない深みがひそんでいるからだろう。
 第三部は「故郷の墓場」と題されて、幼い頃の回想に関わる詩篇を集めたものだろうか、なんとなくノスタルジックな詩篇が多い気がした。
「かげろう」と題された二編の短詩が、詩に対する作者の思いを表しているので、引用してみよう。

(一)
誰かにだまって
そっと聞いてもらいたい時がある


誰もいない所
一人でそっと呟いてみたい時がある
(二)
私のうたは私の墓標
私は私の墓標のために
はかない夢を積み上げる

 第四部は「古女房」と題された相聞歌であり、早世した連れ合いに対する悲しみの鎮魂歌でもある。池波も指摘しているが、ここに納められた詩群がこの詩集の白眉である。長年連れ添った妻女との日常的な触れ合いの味わい、先立たれた作者の切ない悲しみ、思わず涙腺に熱い物が走るような、名作と呼びたくなるような男心の震えが見事に定着されている。その中から、「悲しみ」と題された一遍を引用してみよう。

飼いならされた
犬のように
追っても
追っ払っても
古巣の心に帰っている

 この第四部だけでも、この詩集は手に取ってみる価値がある。
 難解なところが全くない、ほぼ99%まですんなりと共感できる詩集なので、どなたにもお勧めしたいが、長らく絶版となっていて簡単に手にはいらないのが困ったところ、図書館などで見つかるかもしれないので捜して見てほしい。


追記 大森澄さんの全著作を国会図書館の検索をつかって調べてみた。寡作の詩人らしく、発行点数は多くない。しかも地方の出版社を利用していたらしく、発行部数のためかほとんど入手できないようだ。図書館をけんさくしても神奈川県以外で所蔵している所もほとんどないようだ。傑出した詩人なのにまことに惜しい。大手の出版社のどこかで掘り起こしてくれないだろうか。
以下に、国会図書館で見つかった著作を引用しておこう。

1.宵待草 / 大森澄著 . -- 木犀書房 , 1970 . -- (木犀叢書) (N)911.56
2.娑婆 / 大森澄著 . -- 木犀書房 , 1972 (N)911.56
3.駐在巡査 / 大森澄著 . -- 木犀書房 , 1973 (N)913.6
4.ぐさい / 大森澄著 . -- 木犀書房 , 1974 (N)911.56
5.大森澄詩集 . -- 宝文館出版 , 1984.1 . -- (昭和詩大系) (N)911.56
6.歩む / 大森澄著 . -- 近文社 , 1986.5 (N)913.6
7.ふうてん老人行状記 / 大森澄著 . -- 八小堂 , 1999.10 (N)914.6
8.ふうてん老人行状記 . 続 / 大森澄著 . -- 夢工房(製作) , 2002.9 (N)914.6
9.晩景 / 大森澄著 . -- 西さがみ文芸愛好会 , 2009.9 (N)911.56