武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 猪谷六合雄の生涯と文章(その7)『猪谷六合雄選集第4巻』 猪谷六合雄著 (発行ベースボール・マガジン社1985/4/10)

 猪谷六合雄の主な著作は「雪に生きる」と「雪に生きた80年」だと思うが、この選集第4巻には「80年」に収録されなかったか、あるいはそれ以降に書かれたと思われる文章がいくつか掲載されている。猪谷の最晩年の文章と思えるので、取り上げてみよう。
 「80年」でも触れていたことだが、猪谷にとっては心身が健康な状態で少しでも多く自然の中で、とりわけ年間100日以上は雪の中でスキーにかかわって過ごすことが、生きることと同義だった。80歳を過ぎてもこの思いは変わらなかった。そこで、高齢化と共に、猪谷にとって問題となってきたのは、いつまでスキーが滑れるかということと、スキーを含めこれまでやってきた自分の自立した生活が出来なくなったらどうしようかという老化の問題だった。文章の端々から、この問題に直面して気持ちが滅入るようなことが何度もあったことが伝わって来る。
 「80年」の第三部で「私の生き方と老人問題」という見出しで、選集4巻では「老いと人生」という見出しをつけてこの問題を取り上げている。8本の文章の中で、私が一番猪谷らしいと感じたのは「天寿と安楽死」と題された、選集に新たに追加されたエッセイである。猪谷らしいと感じたのは、一般的な老人問題としてではなく、自分の今後の身の処し方として、具体的に自分の明日を想定して、思考しているから。文章自体も一番長く、なかなかの力作である。猪谷の文章を引用しよう。

 私は元来、何でも工夫することが好きな性質で、なにほどかその工夫が現在までときどきは役に立ってもきていると思う。いま老境に入ってみて、やがて不幸にして人に大きな迷惑をかけていかざるを得ないとか、また耐えられないような苦悩を伴う惨めな姿にでもなってしまうとかする以前に、私は自分の環境をささやかな、しかし自分には実質的に意義のある、最後にまで持っていって、そこでいつでも自分の手で安楽死をすることが出来るだろうと思ってもいる。
 そのお蔭というか、そう腹をきめた時から私は全く朗らかな気持を取り戻すことが出来たような気がする。以来何をしても面白いし、友人たちとも愉快に話も出来るようにもなった気がする。それに自然を見ても前よりもいっそう美しく楽しいものと感じもするように思える。もちろんそこには晩年の寂しさや無限の孤独感というようなものを感じもする。それに過去を顧みると数々の悔恨もある。しかしその半面、もう一度落ち着いて噛みしめて味わいたいような人の世の懐かしさもあり、自らなる感謝の気持も折りにふれて湧いてくることだってあるかも知れない。そうなるともう人に対して傲慢になる要も全くなくなったし、また卑屈になる必要もなおさら、ない。私のような俗人もこれでようやく光風清月という境地が、少しは分りかけてきたような気さえしてくる。

 当時はまだ尊厳死という言葉も発想もなかったころなので「自分の手で安楽死をする」という表現を使っているが、この覚悟に到達して、「そう腹をきめた時から私は全く朗らかな気持を取り戻すことが出来た」と書いている。猪谷は、著作の中の随所で<朗らか>な心境を非常に大事にしてきた人である。 (著者は、左の表などを作って高齢者を分類、加齢とともにCクラスの第3グループに落ち込んでゆく人々のことを憂えていた、高齢化社会の問題がどこにあるか、早くも見抜いていたと言うべきか)
 大辞林から<朗らか>の項目を引用する。猪谷が常々必要としていた心境とはどういうものか。

【朗らか】大辞林 第二版より(形動)[文]ナリ
(1)心が晴れ晴れとしているさま。こだわりなく快活なさま。明朗。
「―に毎日を過ごす」「―な人」
(2)空が曇りなく晴れているさま。
「―な秋空」
(3)広々と開けているさま。開放されているさま。
「郊郭、顕敞と―にして、川野、潤とこえたり/大慈恩寺三蔵法師伝(永久点)」
(4)明るく光るさま。
「すがた秋の月の―に、ことば春の花のにほひあるをば/後拾遺(序)」
(5)はっきり物事がわかっているさま。精通しているさま。
「その方にまことに深くしみ、顕密ともに―なるをば/栄花(疑)」 

 80歳前後から、以前に怪我をしたところが痛んだり、体力の衰えを実感したりして、気持ちが塞がれるような日々が次第に増えてきていたのではないだろうか。自分自身の老後に対して、いざというときが来たら「自分の手で安楽死をする」所謂<尊厳死>を選択しようと<腹をきめた>時から<朗らかな気持>を回復し、再び生きる自信を回復したという。老境の入った猪谷のこの気持ちはよく分かる。
 明治、大正、昭和を思いのままに生きてきた己を頼むこと大なる男の、晩年に到達した覚悟として、我が身の処し方についてこう決めたことの決意は軽くないと思って読んだ。最後まで朗らかさを失わないために、最終的な覚悟としてこの判断を尊重したい気がする。
 具体的に、どのような尊厳死の方法を考えていたかは、書かれていない。実行されたのかどうかも分からない。その点を詮索するとそれこそ猪谷の死の尊厳を犯すような気がするので、このあたりで止めておこう。ここでは波乱に満ちた人生を自然と共に生きてきた明治男の最後の到達地点がどこであったか確かめられればそれで十分である。自分らしい終わりを迎えようとする猪谷に最後の輝きを見る思いがした。
 最後に、選集第4巻の目次を引用しよう。丸番号は、「80年」にはなく選集で新たに追加された文章である。

[老いと人生]
1 物の見方、考え方
2 人生と幸福
3 人間の生甲斐とは
④ 天寿と「安楽死
⑤ 人命と生命
⑥ 八十三歳の心境
⑦ 老境と人の厚意の有難さ
⑧ 仕合わせ老人の仲間か
[車との生活]
1 自動車学校へ行く
2 車に住む
3 九州ヘ
4 北海道行き
⑤ 私の車はかたつむり
⑥ 宿の問題
7 イタリー行き
8 小さな贅沢
9 車断片
10 蚊をとって事故を起こす
[いま考えることども]
① 昔のスキーと明日のスキー
② 人間牧場
③ 目(スケート)
④ 舟(スカール 丸木舟)(自転車)
⑤ 子供とスキー
⑥ 人類のゆくえ