武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 イギリス旅行10日間④

 この日はまるまる一日、湖水地方の自然と遺跡を賞味する観光、と言ってもそのベースはワーズワースピーターラビットの作者ビアトリクス・ポターゆかりの地の探訪。
 最初に訪れたのは、ワーズワースが妹のドロシーさんと8年間暮らしたダブコテージ、こじんまりとした小型の家屋、17世紀に村の居酒屋兼宿屋として使われていたものを買い取り、住みやすく改装したらしい。ここでの8年間の暮らしが、ワーズワースの詩作に与えた影響は非常に大きい。それにしても、あまりに草深い田舎なので、見ようによっては仙人暮らしのように見えなくもない。
 都会から観光で訪れるのは悪くはないが、ここで暮らすとなると、何がしかの社会からの離別を覚悟してでなければ住めるものではない。通信や交通の未発達な時代、ここで暮らすことは一種の隠遁を意味したころだろう。 (画像は3人が並んで眠るワーズワースの墓碑)
 セント・オズワルド教会にはワーズワースのお墓があった。奥さんと妹さんと3人が並んで埋葬されているらしく、3つの墓碑が並んでいた。何とも不思議な光景に思えた。都会から隔離された山村でひっそりと3人で暮らす生活に思いを馳せてみたが、何も思い浮かばなかった。
 そのあと、ウィンダミア湖を小型船でクルージング、湖水地方の風光明媚な湖畔を眺めながら、湖上で風に吹かれていると、ふと、中禅寺湖の畔に夏の別荘を建てたイギリス大使館のことに思いが跳んだ。蒸し暑い日本の夏、奥日光に逃れて湖水地方への郷愁に浸った昔のイギリス外交官の思いが理解できたような気がした。緑の間に白い点になって動いている毛の生えそろわない羊たち、瀟洒な木組みの別荘ないしはリゾートホテル。自然を生かした文句のつけようのない観光地。

 午後は、ピーターラビットの原作者、ビアとリスク・ポターさんが、ベストセラーとなった絵物語の印税で購入した農場と住居、ヒルトップ農場の観光。このあたり一帯は、100年ほど前からのナショナルトラスト運動で、NPOが年を取得、長い年月をかけて自然を保護してきた地域、逆に発想すれば、産業革命発祥の地のこのイギリスの往時の自然破壊が、いかに凄まじかったかを陰画のようにして語ってくれていると言う気がしないでもない。産業資本の行き場を失った余剰資本が、自然と土地を収奪していたら、この地も禿山と化していたかもしてない。イギリスの歴史の一端を垣間見る思いだった。 (画像はヒルトップ農場の緑あふれるお庭、いかにもピーターラビットたちが今にも出てきそうな風景)
 最後に、私が気に入っているワーズワースの長詩を全編引用しておこう。若き日々の青春の栄光と、何らかの理由によるその喪失、そして再生もしくは復活、人生の受容、短詩では表現不可能な輻輳した内容が、自然賛歌通奏低音にして見事に描かれた傑作。有名な「水仙」や「虹」などの詩篇よりもはるかに素晴らしい。

      
         前川俊一訳


かつて牧場も、森も、流れも、
大地とあらゆる世の常の眺めが、
私には/天上の光をまとい、
夢の輝きと鮮やかさにつつまれて見えるときがあった。
しかし今は昔のようでなくなった。
夜であれ、昼間であれ、/いずこに目を向けようと、
私がかつて見たものを、今はもう目にし得ない。


虹は現われては消え、/薔薇はうるわしい。
空澄みわたれば、/月はうれしげにあたりを見まわす。
星月夜の水面は/美しく清らかだ。
日の光は素晴らしい誕生だ。
しかし私は知っている、いずこに行こうと、/地上から栄光が消え去ったことを。


いま小鳥らはあのように喜びの歌をうたい、
若い小羊が小太鼓にあわせて、/はねまわっている。
しかし私だけに悲しい思いが訪れた。
折を得た発言がその思いをやわらげて、/私は再び強くなった。
滝は断崖から喇叭を吹きならす。
私の悲しみがその季節を損うことはもう今夜はないであろう。
山彦が山々にしげくこだまし、/風は眠りの野から吹き来り
大地はすべて陽気である。
陸も、海も、/喜びにひたり、
五月の心をもって、/あらゆるけだものが休日を祝っている。
君、喜びの子よ、/私のまわりに叫べ。
君の叫びをきかせよ、君、幸福の羊飼よ。


君達幸福のいきものどもよ、私は君達が
互いに呼びかわす声をきいた。
私は天も君達と共に喜び笑うのを見る。
私の心も君達の祝祭に加わる。
私の頭はその冠をいただく。
私は君達に溢れている幸福を感じる。私はそのすべてを感じる。
嗚呼何という悪い日か、若し私が不機嫌ならば、
このうつくしい五月の朝に、/大地が身をかざり、
遠近の百千の渓間の/いたるところに、
子供等が新しい花を摘み、/太陽があたたかく輝き、
みどりごは母の腕で躍り上っているのに。
私は聞く、私は聞く、喜びにあふれて開く。
しかし私は数ある木のうちただ一本、/ただ一つの野原に目をとめたことがある。
そのどちらも過ぎ失った何かを語っている。
足許の三色菫も/同じ物語を繰り返す。
あの幻の輝きはどこにのがれ去ったか。
栄光と夢はいまどこにあるのだろう。
われ等の誕生は眠りと忘却にすぎない。
われらとともに昇る魂、われらの生涯の星は/どこかで没したのであり、
遠い彼方から来たのだ。
完全に忘却し去ったのでなく、/裸形のままでなく、
栄光の雲をもすそにひいて、われらは/ふるさとの神のみもとから来る。
幼時は天国がわれらの身辺にある。
育ち行く少年に/牢獄の影がとざしはじめる。
しかし彼は光を見、その淵を見る。
彼はそれを己れの喜びのうちに見る。
日毎に東から旅しゆかねばならぬ青年も
いまだに自然の司祭であって、/その行くてには/すばらしい幻がともなう。
遂に大人になればその光もうすれ行き、/平日の光に消えて行くのだ。


大地はその膝を己れの喜びで充たし、/彼女なりのあこがれを持つ。
母親に似た心と/それにふさわしい目的をいだいて、
このつつましやかな養い親は/自分の養い子であり、同宿者たる人間に、
かつて身につけていた栄光を忘れさせ、/もといた王宮を忘れさせようと努める。
見よ、新しいくさぐさの幸にかこまれた、/倭人のたけの四歳のいとし子を。
己れの手づくりの品にかこまれ、/母親の接吻の襲撃に悩ませられ、/父親のまなざしを浴びるさまを。
見よ、彼の足下にあるささやかな設計や海図を。
それは彼の夢みる人生の断片であり、/新しく学んだ技術で自ら作ったものだ。
婚礼または祝祭、/哀悼または葬礼。
今、これが彼の心をとらへ、/これに合わせて彼は歌をつくる。
それから彼は、自分の口を/仕事の、愛の、闘争の対話に合わせる。
しかし、それも間もなく/なげすてられ、/新たな誇りと喜びをもって、
この小役者は別の役割を学び、/人生がその行列に登場させる
老残の身にいたるあらゆる人物で/その時々に「喜怒哀楽の舞台」をみたすのだ。
彼の仕事のすべてが/尺くることなき模倣であるかのように。


魂の広大無辺さに似げない/外観をよそおう者よ。
遺産をなお失わない最善の哲学者よ。
不断に永遠の魂の訪れをうけ、/聾者であり、唖者でありながら永遠の深みを読みとる、
盲人の中なる目明きよ。偉大なる預言者、めぐまれし先足音よ。
私等が全生涯を費やしてさがし求めている/諸の真理は君の頭上にかかっている。
君の不滅性は、避け得ない存在として/主人の奴婢にのぞむように、
太陽のように、君の上にかかっている。
墓場は君にとっては、/太陽やあたたかい光の/感覚や視覚を欠いた淋しい寝床にすぎない、
私等が待ち望んで横たわっている思想の棲家だ。
存在の最高所に位置して、/存分の楽しみをほしいままにする幼児よ、
何故にかくも愚かに自分の幸福と闘いながら、/ことさらにあくせくと働いて、
歳月を駆り立てて、避け難いくびきを招こうとするのか。
間もなく君の魂は浮世の重荷を背負い、/習慣は霜のように重く、生命のように根深く
お前を圧するようになるであろう。


われらのもえさしのうちに/なお生けるものが残っていること、
かくも逃げ去りやすいものを/自然がいまだに覚えていることは嬉しい。
われらが過ぎし日の思い出は/心のうちに久遠の喜びを生み出す。
それは祝福されるに最もふさわしいものの故ではない
喜びと自由、新しく生まれた希望を/常に胸中に羽ばたかせ、いこわせている
幼年の素朴な信条/これらのために私は/感謝と讃美の歌を捧げるのではない。
それは五官と外界の事物に対する/執拗な疑問のため、/喪失と消失の感じのため、
理解されない世界を摸索しまわる/生物の空漠たる疑惑のため、
その前に立たせられるとわれらの人間性が/不意をつかれた罪人のようにおののく気高い本能のため、
あの最初の愛情のため、/あのおぼろげな回想のためなのだ。
それは如何なるたちのものであろうと、/われらの日々をてらす光の泉であり、
われらのもの見る力の主たる光であり、/われらを支え、はぐくみ、
われらの騒がしい年月を/永遠の沈黙の存在中の一瞬に見えさせるもの、
一度目覚めれば亡びることのない真理なのだ。
それは懈怠も、狂おしい努力も、/大人も、少年も、
喜びと相容れぬ如何なるものも、/ほろぼしつくすを得ないものだ。
それで、晴れて静かな日には、/遠い奥地にいても、
われらの魂は、われらをこの地につれ来たった/不滅の大海を望み、
一瞬のうちにそこに帰り行き、/岸辺にたわむれる子供等を見、
永遠に巻きつづける波濤のとどろきを聴くのだ。


では鳥達よ、喜びの歌をうたえ。
若い羊は小太鼓にあわせて/跳ねおどるがよい。
われ等も心において君達の群に加わろう。
笛吹くものよ、遊びたわむれるものよ、/心のすみずみに、今日
五月の喜びを感じるものどもよ、/かつてはあれ程に照り輝いた光が
いまや永久に視界から消え夫ったとしても、/草に輝きがあり、花に栄光の宿っていた
あの特を呼び戻すことが出来なくとも、それがなんであろう。
われ等はそれを嘆かず、むしろ/後に残ったものに力を見出そう。
かつて存在したがために、永久に存在するであろう、
原初の共感に、/人間の苦悩から湧き上る/心なごめる思いに、
死の彼方を見透す信仰に、/哲人の心をもたらす年月に。


そして、君達、泉よ、牧場よ、丘よ、森よ、/われらの愛の別離を考えてくれるな。
しかし、私は心の奥底に君達の力を感じる。
私は一つの喜びをあきらめて、/君達のより習慣的な支配の下に生きるだけだ。
私は水路を波立ち流れる小川を愛する、/その流れのように跳ね廻っていた時分にも優って。
新しく生まれいずる目の無垢の輝きはいまだにうるわしい。
人目をかこむ雲は、/人間のはかなさを見つづけて来た眼には、/くすんだ色合いを帯びて見える。
いま一つの行程は終って、別の栄冠が得られたのだ。
われらの生きるよすがとなる人情のために、/その優しさと、喜びと、恐れのために、
わたしはどれ程ささやかな花からも、/しばしば涙にあまる思いをそそられるのだ。