武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『アルブレヒト・デューラー』 エルンスト・ヴィース著 相沢和子訳(発行エディションq)


 昔の偉人の業績をいかに辿っても、その人間像に近づくことは難しい。詳細な評伝は限りなくその人物に接近する手掛かりになるが、それでも何だかもどかしい。そんな時、周到かつ巧緻に仮構された伝記作品が、もっと知りたいという心の渇きを癒してくれることがある。今回紹介する、15世紀から16世紀にかけて活躍したニュルンベルクの画家アルブレヒト・デューラーの伝記は、まさにそんなデューラー・ファンの渇きをたっぷりと癒してくれる1冊。 
 前置きはこのくらいにして、内容を紹介してゆこう。<北方ルネサンス>あるいは<ドイツ・ルネサンス>というキーワードに興味のある方なら、その大いなる体現者であるデューラーの生涯をたどる伝記には、きっと魅かれるに違いない。私は、天才画家デューラーについてもっと人間臭い感触がほしくて、この本を手にし、十分に満足した。
 読み出して吃驚、周到な時代考証と、登場人物の生き生きとした人物構成、自分が近世のドイツの町並みにタイムスリップしたように感じさせる描写力、抑制の利いた筆運び、読み出してすぐに伝記の世界に引き込まれてしまった。実に気持ちよくデューラーの生涯を追体験できた。一読、伝記文学の傑作に出会ったとの意を強くした。この伝記の気づいた特徴を拾い上げてみよう。
 ①デューラー本人に与えられた視点は、なんと一人称の<わたし>、これにまず驚いた。簡単そうでいて、最後まで伝記を一人称で記述するのは、よほどの取材と当該人物の人物像の絞り込みがなければ難しいこと。成功すれば、伝記の人物その人の視点で業績を辿ることになるので、読者の満足度も大きいだろうが、周辺の人間像の記述など、一人称で語りきるには主人公に匹敵する取材が必要となり、相当の力仕事になると思うが、この作者は見事に最後まで一人称で書ききっている。
 べとべとした私小説ふうの一人称ではなく、距離をおいて高いところから自分を見ているような客観性を加味した独特の一人称記述、この手法をどう受け入れるかで本書の評価が変わってくる気がする。私は、一人称記述の技巧を楽しみながら読むことができた。感情移入はしにくかったが、デューラーに親しみを感じながら読んだ。読み終えた私にとっては、孤高の天才画家ではなくなった気がした。
 ②配置された周辺の人物像の描写がくどすぎず、すっきりしていて丁度よかった。物語を必要以上にドラマ化せず、淡々と稀有の才能と、その才能を順調に育てる環境にも恵まれ、画家としての素質磨き、一途に研鑽を重ねてゆく姿がすがすがしくていい。父親との葛藤はほとんどなく、父親に育まれ父親から多くを受け継ぐ形で成長することの幸福、近代以前の青年期には反抗期は存在しないかのよう、近代的自我そのものが自覚されていない中世末期の人間形成はそういうものだったのかもしれない。
 デューラー程の画才は、トラウマやルサンチマンを弾みにしていては、才能に曇りが生じてしまい、完璧な完成にたどりつけないかもしれない。そういう意味でこの伝記の、画家としての成長のストレートな描き方に好感がもてた。 多くのものに恵まれた偉人伝というものも、悪くないなと思いつつ読んだ。カソリックからも誕生しつつあるプロテスタント側からも王からも商人からも庶民からも愛された人物、完璧な画家と呼ばれるに値した人物だったことがよくわかる。
 ③北方ルネサンスを背後から支えた、近世ヨーロッパの経済的な繁栄に十分な目配りが利いていて、芸術を後押しする富の力について、リアルな実感が得られた。単なる賞賛の声だけではなく、出来栄えに対するたっぷりとした報酬が、いかに製作者に喜びを与え創造への励ましとなるか、克明に描き出しているところに説得力があった。
 ④作中に登場する二人の女性、勃興しつつある市民階級の新しい女性像として描かれた恋人クリスティアーネと妻アグネスの対比が鮮やか。デューラーの生涯を飾る女性を、きっちりと描き出したことが、この伝記にしっとりとした潤いを与えたような気がする。二人とも大変に強く美しくそして優しい素晴らしい女性だ。
 ⑤画集ではないので、掲載されている図版が必要最小限、多くないのがいい。まったくないのも寂しいが、多くする必要もない。デューラーの伝記に手をのばす読者なら、ある程度作品に予備知識があるものとの割り切りが必要。私は、他に1冊デューラーの作品集を手元に置きながら読んだ。
 ⑥日本語の翻訳文が読みやすく、相当の長文もよどみなくすっきりとした日本語になっていることに感心した。透明度の高い知的な日本語になっているので何よりも読みやすかった。
 ⑥江戸時代の浮世絵のような絵師として独立するような分業の仕組みがなく、自分で描きながら銅版・木版を製作しているのを読み、別人が作業していては不可能なデューラー版画の完成度だったことがよくわかった。
 これまで、この時代の徒弟制度の職人の枠を突き抜けたデューラーの際立つ近代性の、よってきたるところが分からなかったが、デューラー夫妻に子どもがいなかったこと、それゆえに自分の子どもの親として父性を発揮する代わりに、時代や社会の父性として自分を築いていったことが分かり、大きな収穫だった。読む人にとって得るものは違うだろうが、きっと実り多き読書になるような気がする。特に、デューラーが好きな人にはお勧めしたい。
 (追記)以下のサイトに、驚くほどたくさんのデューラー作品がアップされています。画質も良く必見です。 
http://www.site-andoh.com/durer.html