武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 武蔵野の雑木林の冬景色


 仲間と一緒にやっている雑木林のゴミ拾いボランティアに行って来た。古い大型のテレビやバッテリー、引っ越しで発生したらしい衣類混ざりの家庭ゴミ(子どもの服を含む)など、たった2時間ばかりの作業でも、軽トラックの荷台が溢れんばかり、人目がなければ何をやっても恥じることのないこの国のモラルに驚くやら呆れるやら。
 武蔵野の雑木林の景観は、心ない人々の不法投棄によって、無惨な姿になりかねない現状にある。毎月1回のゴミ拾いをしていて、やはり一番多いのは空き缶、空きペットボトルなどの、自動販売機由来の品物、売ることを最優先して後の始末を考えないメーカーと一時の簡便さを享受するだけで、後始末を考えないで捨ててしまう消費者、何とかならないものだろうか。目を転じてあたりを見回せば、武蔵野の雑木林の素晴らしいたたずまいが広がっている。


全ての葉っぱを落としてしまった骨組みだけの裸の木々と、
地面を覆い尽くした一面の落ち葉、
今日のように風のない晴れた日には、
冬の雑木林は遠くまで見渡せる透明な光に満たされる。


木々の影が、無数の日時計となって
落ち葉の上を音もなく時を横切ってゆく。
何という安らぎに満ちた静けさ。
この道をどこまでも歩いていきたい。


冬の雑木林の道の向こうに
黒く蹲った墓地が見える。
墓石の上に降り注ぐ
暖かみのない眩しい日差しに目を細め
墓の脇を影のようにひっそりと通り過ぎる。