武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『河童が覗いたインド』 妹尾河童著 (発行新潮社1985/4/5)


 インドについて書かれた本の中から5冊を選ぶとすれば、ほとんどの人がこの河童さんの本を選ぶのではなかろうか。少なくとも私ならそうする。また、この本は傑作が多い妹尾河童さんのイラスト入りの著書のなかでも、とりわけ素晴らしい最高傑作になるのではないかとすら思う。今回のインド旅行から帰って再読してみたが、ますますその感を強くした。
 今さら内容紹介でもないと思うが、未読のかたもいらっしゃると思うので、その素晴らしさの一端をご紹介してみたい。
(1)ほぼ全ページに河童さんご本人が描かれたモノクロイラストの細密画を配し、文章もすべて手書き、絵と文字がしっくりと一体化して、手作り感覚が満ちあふれ、本全体がまるで手工芸品のような仕上がりとなっている。文庫本も出ているが、文庫サイズではイラストも本文も小さくて見にくく読みづらい。やはり本来のA5版を手に入れたい。
(2)まずイラストが凄い。宿泊したホテルの部屋や、列車のコンパートメント、路上にまで進出してきている屋台や個人商店などなど、河童さんの好奇心によってクローズアップされた、細部に至るまで実際に見てみないと描けないリアル極まりない微細な図解。河童さんの筆になるとどんなに汚い物でも分かりやすくきれいな絵になってしまうから不思議である。細部にこだわった細密画だけでなく、わざわざ寺院や山のてっぺんにまで登って描き出した鳥瞰図のパノラマ感も素晴らしい。私はこの本のイラストの中に何度見ても飽きないものが沢山ある。
(3)絵と組み合わされた手書きの文章がまた素晴らしい。癖のない透明感のある達意の日本語が、河童さんの好奇心のおもむくままに、取材して分かったことを、実に明解に伝えてくれる。ご自身の失敗や苦労などを交えて、最後まで飽きさせずに一気に読ませてしまう。舞台美術家として、自分の意志を人に的確に伝えられなければどうしようもない職業で身に付けられた文体ではないかと思うが、良い文章である。
(4)旅行記のスタイルとしても素晴らしい。まず、最初の「カルカッタ」の章で10ルピー紙幣の詳細なイラストが出てくることに驚き感心する。数ある世界の紙幣の中で、インド紙幣にしかない特徴が、インドという国の特徴を見事に表しているというこの導入の素晴らしさ。どの章を読んでも、一見つまらない細部に拘泥しているように見せながら、しっかりと全体を捉えて、最後にはきっちりとしたまとまりに仕上げてある。旅行記のお手本のような章の連続である。
(5)カバーの紹介によれば、本書は「話の特集」に1979年1月号から1985年2月号の7年がかりの長期連載だったとある。全ページ絵と文章が手書きになっているのは、7年もの歳月をかけて、注意力と労力を注ぎ込んだ仕事量の結晶なのだ。何でも手っ取り早く効率よく仕上げてしまう現代において、これは奇跡のような労作といっても過言ではない。
 最後に、本書の目次を引用しておこう。日本人観光客があまり行かないような所にまで行っているので、かなりディープな旅行記と言える内容になっている。河童さんは面白い旅行者である。

カルカッタ
聖なる河
聖なる牛
カジュラホ
アグラ
タージ・エクスプレス
デリー
カースト制度
再びデリー
ボンベイ
ハイダラバード
マドラス
カーンチープラム マハーバリプラム
マドゥライ
鉄道の旅
最南端
コーチン
マイソール
バンガロール
アジャンタ エローラ
ウダイプール
ジャイプール
スリナガル

 これからインドに旅行に行かれる方、インドという国に興味のある方、文句なしに素晴らしい本と巡り合いたいと思っている方、そんな方々に本書をお勧めしたい。