武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 妹尾河童さんの<河童が覗いたシリーズ>再読


 河童が覗いたシリーズのインド編を再読したら、思いの外楽しかったので、近くの図書館からさっそくヨーロッパ編とニッポン編を借りてきた。調べてみたらヨーロッパ編の初版が77年12月に話の特集編集室からでていた。ニッポン編も同じ話の特集から80年7月に最初の版が出ていた。ヨーロッパ編→ニッポン編→インド編の順番だった。
 さっそく内容について、気付いたことを列挙してみよう。
(1)覗いたシーズ3部作の中で、ニッポン編が一番マニアック、河童さんが興味をかき立てられて深く深く追求してゆくレベルは、この本がダントツである。第1作ヨーロッパ編で身につけた方法論がどんどん深化し進化して、見事な水準に到達する。イラストの描き方も、対象の特性に即して自由自在に視点を転換、イラストレーターの技術が全面展開し完成の域に上り詰めた感がある。ビジュアルなドキュメンタリーの傑作と言っていい。サイズも一回り大きなB5版、完成度の高い名画集となっている。
(2)続いてニッポン編のもう一つの特徴だが、文章の求心力が素晴らしい。対象に深く踏み込んで行くと、自然に探求する者の心性が露呈してくることがあるが、この本では3冊の中で一番よく河童さんの思想性というか物の考え方が滲み出てくる。書き手のエネルギーを集中しないとたどり着けないようなレベルにまで踏み込んだ結果が、作品になったと言うことがよく分かる。標題通りにニッポンをここまで掘り下げたルポはそれほど多くない。掘り下げてゆく過程で磨かれた本書の文体は、透明度を増ししなやかさを備えて、達意の素晴らしい日本語になっている。
(3)ニッポン編のなかでも、最初の「京都の地下鉄工事」と最後の「刑務所」、中程にある「皇居」の3編は何度読んでも、何度眺めても飽きない傑作ルポルタージュである。
(4)それではヨーロッパ編がつまらないかというと、そうではない。実は、この本がその後に続くイラスト入り読み物の第1作である。「いいわけのまえがき」を読むと、ヨーロッパ編のモトとなったヨーロッパ旅行は、本書の制作を目的とした旅ではなかった。河童さんが旅の途中で好奇心を触発されて描き貯めたスケッチを、友人達が回し読みしたのが切っ掛けとなり、そこから本作りの話が持ち上がったということらしい。従って、意識して好奇心を育て上げるような、目的意識的な姿勢はほとんど感じられず、どのページをめくっても自然発生的な河童さんの興味関心の発露がみられる。この点を良しとしなければ、河童さんのファンとはいえない。
(5)私たちが1年間ヨーロッパを旅して、これだけ好奇心を維持し続けることが出来るだろうか。本にすると言う目的もなく、くたびれて横になりに帰るホテルの部屋の様子を、かくも詳細に記録し続けることが出来るだろうか。心底から視覚的な人なんだろうと思うが、好奇心が形の面白さに何とも見事に反応している。添えられた文章を読むと、目に見えないものにも反応していることがよく分かるが、基本的には形なんだということがしみじみと分かる。イラストの所々に舞台美術家の目が光っていることも隠しようもなくでてくる。河童さんを分かるための必読書といえよう。
(6)書かれているエピソードもイラストも、基本的には旅行者の視点から描かれている。一瞬のおやっと思った心の動きを、さっとスケッチやメモに残したたものの集積が本書である。旅行の印象を如何にまとめたらいいかの一つの典型と言っていいだろう。他に類を見ないヨーロッパ旅行のガイドブックとも言えそうである。ここからインド編やニッポン編がうまれた、覗くシリーズの出発点として、本書も味読に値する力作である。

(追伸)ヨーロッパ編の話の特集版を入手してみて、驚いた、どこもかしこも総てが河童さんの手書き文字、表紙も奥付も丸ごと全部が手書き文字、活字は一切使っていないというこだわり本だった。四六版のソフトカバー仕上げ、本自体としては新潮社版のほうが立派に見える。 (右の画像が話の特集版のヨーロッパ編、最初の著作らしく著者名にコメントがついていて面白い) 最後に、両書の目次を引用しておこう。まず、ヨーロッパ編。

いいわけのまえがき
ピサの斜塔にはテスリがない
ミラノの飛び降り自殺
列車は黙って発車する
ウィーンの市電の飛び降り資格
野鳥と人たち
握手と礼砲
パリのスイングドア
北の人、南の人
ヨーロッパの窓
トカレフワルサーP38
武器博物館
なぜモデルガンが
マッサージ器と10ギルダ紙幣
イタリアとドイツのオペラの始まる時刻
走るポストと公衆便所をふやすシカケ
ナポリの泥棒
旅の秘訣は“得点法”
国際列車の車掌さんたち:ヨーロッパの列車仲
優先席・禁煙車
いいホテル
ぼくが泊まった安い部屋
エジプト、ギリシャ、イタリア、
フランス、ベルギー、スイス、西ドイツ、
スペイン、ポルトガルオーストリア
オランダ、デンマークスウェーデン
ノルウェーソ連
チェコスロバキアハンガリー
イギリス、スコットランドアイルランド
メキシコ、アメリカ、
あとがき

 国名のみが目次になっているところなど、まとめるのに如何に苦労したかがわかる、飛ばさないでじっくり読んでいくと、実に楽しい。
 続いて、ニッポン編の目次、内容が絞り込まれて、ノンフィクションの目次らしくすっきりしてきている。

京都の地下鉄工事
“集治監”
長谷川きよしの周辺
盲導犬ロボットと点字印刷
山あげ祭
“裁判”(傍聴のすすめ)
“鍵と錠”
『皇居』
走らないオリエント急行
入墨と刺青
CFづくりのウラ
旅するテント劇場
“刑務所”

 2冊とも今でも単行本が古書で安価に入手できるので、何とかそちらの方で読んでほしい。気に入ったら<覗くシリーズ三部作>は是非手元に置いて折に触れて楽しんでもらいたい傑作シリーズである。