武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 10月第1週に手にした本(1〜7)

*一年の内で暑くもなく寒くもなく、快適に過ごせるのはこの10月と5月だけ。9月は暑いし11月になるともう寒くなる。気候が過ごしやすくなるに合わせて、仲間内のイベントも増える。多忙な月になりそうな気がしてきた。

白井喬二著『富士に立つ影(決定版)復刻 』(沖積舎1998/10)*本書は、昭和13〜14年のモダン日本社刊行の3巻本を復刻して1巻に合本したもの、2段組で2千ページを超える大冊、大辞典を読んでいるような感じがする。片手では持ち続けるのが辛いほど。大衆小説好きとしてかねてから読みたいと思っていたものを格安で入手、相当に日数がかかりそう。

白井喬二著/池内紀編『 ちくま日本文学全集/白井喬二』(筑摩書房1993/3)*長大な「富士に立つ影」の原作から編者があらすじと名場面の章を抜き出して、ほぼ1/5に圧縮したもの。108章のうち21章をセレクトしてあり、原作の持ち味は大きく損なわれてはいない。長編をこんな手法で圧縮する試みは他にもあっていい。鈴木道彦氏による「失われた時を求めて」抄訳版を思い出す。著者の抵抗が予想されるので、著作権の切れた長編からでも誰か手をつけてみてくれまいか。(追記)宮田恭子氏のフィネガンズ・ウェイク抄訳を忘れていた。この本を手にして、やっと読むための手がかりにたどり着いたという人もいる。抄訳侮りがたし。

椎名誠/編集人『本の雑誌91年分12冊』(本の雑誌社1991/1〜12)*先週に引き続き、古雑誌のまとめ読みをして愉しんだ。多くのページのフォーマットはお決まりで、筆者も同じ人のよう。毎回、工夫をこらした特集が、本好きの好奇心をかきたてるものを準備してあって、その変化が楽しい。雑誌の基調が軽いトーンなので、いつの間にか感染してしまいそうだが、私は重々しく生真面目な本も大好き。※91年は想像だにしなかったソ連崩壊があった年。この雑誌は、そんな世相とは無縁な様子が面白い。

◎嶋岡晨/大野順一/小川和弘佑編『戦後詩大系2』(三一書房1970/9)*初めて目にする詩編が沢山ある。この本を読んでいると、この国の詩のジャーナリズムの不幸を考えざるを得ない。戦後25年の豊かな収穫は、その後どのように維持されてきたのだろうか。谷川雁の「詩は滅んだ」という有名なセリフを思い出した。戦後史の深まりと広がりは、なぜ継承されなかったのだろう。

逢坂剛著『コルドバの女豹』(講談社文庫1986/9)*82年刊行の「赤い熱気球」を文庫化したもの、著者の第一短編集。初出誌を見ると、80年になって一念発起、ハードボイルド短編を発表しはじめた頃の初期作品集。この頃からすでに物語の構成に、意外性やどんでん返しを仕掛ける作風が出来上がっていたことが分かる。

正岡子規著『仰臥漫録』(角川ソフィア文庫2009/9)*35歳の若さでなくなった日本語表現の改革者の一人、子規の34歳の時の病床日誌、結核の重症化に苦しみながら綴り続ける表現への執念とむさぼるような食欲の狂騒に圧倒される、赤裸々な闘病記。<つきなみ>という批判的キーワードの創始者らしく、<つきなみ>を大きく逸脱した闘病生活がなんとも痛々しくも爽快で興味深い。月並みでない菓子パン好きには呆れた。