武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 南インドツアー印象記(2)


 インド観光1日目に訪れたのは、元インド首相ラジブ・ガンディーが爆弾を隠した花束を持って近付いた女性自爆者によって暗殺された記念公園、インドでは20世紀になってガンディー姓の政治家3人が暗殺で命を落としている、不思議な因縁。以下はその3人の氏名と事件発生年。

・マハトマ・ガンディー (1948)
・インディラ・ガンディー(1984
・ラジヴ・ガンディー(1991)


 次に訪れたのは、ヒンズー教の聖地、カンチープーラムという町の二つの寺院、初めに訪れたのはエーカンバレシュワラ寺院、神聖な境内に入るに靴を脱ぐ。30℃を越える炎天下の石畳は、焼けて熱い、足裏を鍛えていない日本人に裸足はつらい苦行、途中から靴下を付けることにした。遺跡ではなく現役のお寺さんなので、ヒンズー教徒の信徒の方々と一緒に寺院内を見学。境内への入り口を飾る東西南北の飾り門が凄い。一部修復中だったが、高い台形型の塔となって聳え、外側をヒンズー教の神々のレリーフが飾っている。
 境内の祈りの場を支える回廊の柱の装飾も、目を瞠るばかり、信心深い巡礼者がこれらの彫刻群を見、宗教的な法悦を引き起こされるのも分かる気がする。最も神聖な奥の院のような場所には、信者以外入れない決まりとなっており、何があるのか気になった。

 二番目に訪れたのは、同じヒンズー教ヴィシュヌ派のヴァイクンタ・ペルマール寺院、壁面や柱のレリーフや彫刻はヒンズー教の神々が主だが、神々の彫刻の間隙を埋めるようにして建造された時代の庶民の姿が、図案となって彫り込まれていて興味深い。びっしりと柱を床から天井まで埋め尽くした石の造形は多様で見飽きない。作られたのは日本史では平安時代の頃にあたる。地球上どこでも生活の総てを宗教が支配していた時代だった。

 昼食の後は、海岸の方へ1時間以上かけて移動して世界遺産に登録されているママラープラム(マハーバリプラム)へ。バスを降りたら気温は35℃近い酷暑、頭がクラッとした。最初に見たのはファイブ・タラと呼ばれる石窟遺跡群、製造年代は一番古い7世紀とされる。砂からニョキッと立ち上がっている適度に風化した石窟遺跡には素朴な味わいがあった。5つのスタイルの違うヒンズー遺跡は、1つの巨大な花崗岩を刳りぬいて作り上げた石窟寺院だと言うから驚く。石を積み上げる技術に不安があった時代、ひたすら石を刳りぬいた人々の途方もない根気には呆然とするのみ。

 次に移動して海岸寺院に行った。名前の通り海岸線が近くまで来ている場所に、やはり花崗岩で出来た素朴なヒンズー教の寺院が建っている。驚いたのは、境内の一角に2004年12月のスマトラ沖地震津波によってインドネシアからはるばる運ばれてきたという石の象さんが転がっていたこと、自然の猛威に驚嘆。こちらの遺跡は時代が進み、石を積み上げた石造建築、造形が数段精巧になっている。

 次に見たのは、<アルジュナの苦行>とよばれる巨大な石のレリーフ、幅29m高さ13mの見事な石の彫刻は、保存状態も良く鮮明な造形が素晴らしい。

 もう一つ、是非にも実物を見たかったのが<バターボール>、如何にも転がり落ちそうな不安定な感じの巨大な卵形岩石、1000年以上も絶妙のバランスで定着しているというのが何とも不思議、地震が起きたらひとたまりもないだろうに。