武蔵野日和下駄

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 南インドツアー印象記(8)


 今日の観光は、世界遺産に登録されている広大なハンピ遺跡群を、午前と午後に分けて丸一日見学しようという内容、目的が非常にハッキリしている。それというのもこのハンピ遺跡の規模と内容が凄いからだ。
 ここは14世紀から16世紀にかけての3世紀近く長期にわたり、何代ものヒンドゥー王朝が盛衰を繰り返した南インド最大の都があった土地、最盛期には豊かなインド亜大陸の富が集中し、6500ものヒンドゥ教寺院が建ち、28の門を構えた豪華な宮殿が栄華を誇り、500もの運河が農地を潤し、50万人の人々が暮らす巨大宗教都市だったという。それが1565年にムスリム連合軍に攻め落とされ、都を焼く火が半年間も燃え続けたという。今なおその全貌は分かっていない。
 イスラム勢力に徹底的に破壊し尽くされ、その後再建されることのなかった都跡だけに、かろうじて燃え残った石造りの残骸が、広大な岩山のあちこちに点在しており、想像力で補って見なければ単なる廃墟跡に過ぎないとも言える。
 最初に行ったのは、ハンピ村の南に位置する遺跡群、遺跡の再建も進んでおらず破壊されたままあちこちに寺院跡らしい石材がころがる岩山、僅かに残る寺院跡を見て回った。かつて岩山全体を覆い尽くしていたであろう栄華を想像するのは、残された残骸からだけではかなりつらい。互いに相手を全的に否定し合う宗教戦争の酷さを思った。


 寺院地区の次に、宮殿地区にむかった。王の夏の宮殿だったというロータスマハル宮殿の石造りの部分が比較的良い状態で残っており、昔の栄華を偲ばせる。この地域にある寺院は、王様専用の寺院、大きくないが装飾に贅が凝らされている。
 王宮は土地の形が残るだけで、どんなに栄華を誇ったか、想像する手がかりすらない。僅かに残る遺跡は、王様が愛する后のために築いた建物が何故か多い、暑い風土だけに水を使用した仕組みがよく残っている。上から水を垂らしたり、水遊びが出来るプールだったりする。


 正午過ぎには40℃をこえる暑さとなるので、昼食のあと軽くシエスタをとり、3時過ぎてから午後の観光に再出発。それにしても暑い。
 ハンピ村の東方向にある遺跡群、こちらは岩山の麓と川に挟まれた比較的なだらかな土地、破壊の程度も少なく保存状態も悪くない。幾つかの寺院では、精緻な彫刻の柱列が残っていたり、保存状態の良い飾り牛が引く戦車があったりして、美術的に価値の高いものが多かった。
 脇を流れるトゥガバドラー川を見おろすと、川向こうに長い石橋の遺跡がかすんで見えた。川を挟んで壮大に繰り広げられていたであろう都の繁栄を想像しながら、沐浴をしたり水浴びしたして流れに身を浸すインド人観光客をながめたりした。
 現状では、全体の5%程度しか発掘されていないらしいから、全貌が明らかになったら、もう一度、資料でもいいから見てみたい。最盛期、50万人が暮らした世界的な大都市をどうしてもイメージしきれないまま、ハンピ遺跡の観光が終わりチト残念だった。