武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『シズコさん』 佐野洋子著 (発行新潮社2008/4/25)


 絵本「100万回生きたねこ」を初めて読んだ時の驚きは、忘れられない。児童用の読み物にしては余りにも残酷で、終わり方の限りない優しさと救済に満ちたメッセージ、途轍もなく斬新な絵本の世界に私は言葉を失った。我が家の子ども達が成長した後だったので、我が子に絵本として与える機会はなかったが、子どもと一緒に汚れない夢に遊ぶためのツールとして、親である自分はこの絵本を採用したかどうか自信がない。
 佐野洋子さんという方は、どんな人なのだろうか。作者への関心からこれまで何冊も著作を手に取ってきたが、今ひとつ分からなかったが、この本を読んでやっと分かった。佐野さんの生育歴が抱え込まざるを得なかった恐るべき葛藤と、その克服の過程から幾重もの屈折を経て「100万回生きたねこ」が誕生したということがようやく納得できた。この本は、「100万回生きたねこ」の原風景である。
 この「シズコさん」と言う本は、母親を介護し看取るまでの日々を辿った本である。介護や看取りを主題にした本には何故か心を打つ優れた作品が多いが、この本は格別という印象を受けた。家族という枠組みの中で、何らかのトラウマを背負い込んだと言う思いをお持ちの方には、何らかの救いになるような気がするので紹介しておきたい。
(1)著者と母親のシズコさんは、二人とも輪郭のハッキリした個性的なアクの強い性格の持ち主、しかも水と油のような背反する性格をもって生まれついた。そんな二人が肌をすり合わせるようにして暮らす家族として、同じ屋根のしたで暮らすのだから骨肉の葛藤は避けようがない。著者の回想として語られる、抑圧されて過ごした幼年の日々には目を背けたくなるような捻れたルサンチマンに満ちており、筆のリアルさには微塵の容赦もない。ここまで書いてしまったからこそ、胸の仕えも取れいっそスッキリしたのかもしれないと思うほど。白熱する母娘の葛藤には読み応えがある。親子でなければあり得ないドラマだ。佐野さんの在りし日の母親像に迫っていく筆の運びには、表現者としての鬼が取り付く瞬間があり、凄まじい。
(2)認知症を発症し自我が崩壊した、母親ではなくなった老母に対する、著者の複雑な心理の描写が素晴らしい。介護が、介護する者の心にどんな心理的影響を与える行為なのか、克明に解き明かしてゆき、最後には、母と娘が共に救済に近い境地に着地する。詳細なこの介護のプロセスは、人によっては涙なしには読めないかもしれない程、こちらの気持ちを揺さぶってくる説得力がある。介護とは、人生の終末を飾る、天与の贈り物かもしれないと気がしてくるほど。介護を媒介として二人の和解と転生の何と輝かしいこと。
(3)描写の背後から、二人が暮らした戦後の日々が、リアルに立ち上がってくる。中国の大連での幼児期、敗戦と引き揚げ船、帰国してからの戦後生活の日々、兄弟や父親の死、荒れ狂う混乱の日々の中で辛うじて成り立たつ家族の生活。結束して暮らすしかなかった家族が、いかにして生き抜いてきたか、あの時期大なり小なりどの家庭も経験したであろう昭和の日々が、著者の思い出を通して鮮明に読みがえってくる。戦後社会を生き延びた誰しもが、やはり大変な時代を生きてきたんだと、改めて痛感した。
 女性の読者に、この本を涙なしに読めなかったと言う人が多いようだが、むしろ何らかの影響を母親から被ったマザコン男性にこそ、この本を隠れてお読みになるようお薦めしておきたい。