武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 10月第4週に手にした本(24〜30)


*情けないことに書庫にあることを忘れて同じ本を買ったり、読んだことすら忘れたりするようになってきた。読んだり読みかけたりした本を備忘録としてメモ、週1で更新しています。
坂崎重盛著『東京読書―少々造園的心情による』(晶文社2008/1)*「東京本遊覧記」の続編、東京にかかわる本のブックレビュー、江戸と東京を扱った本を通して、著者の江戸と東京への愛着を語る書物エッセイ。気負いのないやや懐古的な文体が、気儘な散歩に誘うような感じで先を読ませる好著。
山根一眞著『モバイル書斎の遊戯術』(小学館1999/7)*15年ほど前は、<モバイル>mobileというキーワードはCPと情報通信の先端を意味していたが、爆発的な携帯電話の普及で、誰もが普通に利用できる環境になってしまった。この本を読んでwindows95の頃が懐かしかった。その意味で古本らしい古本だった。
◎角川文庫版『現代詩人全集第九巻戦後1』(角川書店1960/8)*半世紀前に発行された古本、自宅の書庫に在籍していたものを掘り起こしてきて再読、村野四郎氏の解説にもあるように戦後初期に活躍した詩人の作品には、15年戦争の影が色濃くて、重苦しい。青年期に繰り替えし読んだことを思い出した、懐かしい。
◎角川文庫版『現代詩人全集第十巻戦後2』(角川書店1963/3)*詩的出発が戦後になる、あの頃としては若手だった詩人の作品が集められている。名前を見てゆくと既に半数以上は故人となっており、時の経過が本の古さと共に変色したページの間から立ちのぼる。古書を読む楽しみは奥深い。
日下三蔵著『日本SF全集・総解説』(早川書房2007/11)*レビューをアップしてあります。
◎作曲家別名曲解説ライブラリー『ハイドン』(音楽之友社1996/4)*高価なので入手するかどうか迷っていたが結局古書を買ってしまった。このシリーズも9冊が書架に並ぶ。ライナーノートなしの直輸入音源が増えたので、いつの間にかお気に入りの作曲家の分が増えてしまった。解説が堅苦しいがモチーフの略譜を引用してあるので世話になることが多い。
◎西村義孝編著『佐野繁次郎装幀集成―西村コレクションを中心として』(みずのわ出版2008/11)*古書を何冊か眺めていて、装幀者が発している個性が気になり、この本に行き着いた。業績を一覧して、文字とイラストが融合した古き良きパリの香りのするモダンな装幀が懐かしく、しみじみとした気分に浸った。書物が紙で出来ていることに何の不思議もなかった時代の作品、古い陶器を楽しむように、古書の装幀を楽しむ時代がくるのかな。 (右上の画像)
小林信彦著『笑いごとじゃない―ユーモア傑作選』(文春文庫1995/12)*小林信彦はこの国指折りのユーモア作家だと思ってきた。通勤電車で読んでいて吹き出してしまい周囲から変な目で見られたことが何度かある。その傑作選、ギャグがやや古びてきたが、相変わらずとても楽しい。つくづく天才だと思う。
直木三十五著『黄門廻国記』(春陽文庫1969/4)*紙がかなり焼けて黄ばんでしまった古本、映画やテレビでおなじみの水戸黄門の原型となった小説、機会があれば読んでみたいと思っていた。偶然にBookoffの105円コーナーで見つけ即座に購入を決めたもの。ライフワーク<大日本史>を完成して旅立つところから始まるのは、期待通り。
坂崎重盛著『東京遊覧記』(晶文社2001/3)*同じ著者の「東京読書」が良かったので、ネットで入手。2巻目よりもこの1巻目の方が中味がより濃い。濃いという理由は、東京本の中でも著者にとってより愛着の強いものが先に出てきたらしく、愛着の深さと連載開始の初々しさが文体に反映していて好ましい。
◎吉田武著『虚数の情緒―中学生からの全方位独学法』(東海大学出版会2000/2)*カバーの折り返しに「本書は人類文化の全体的把握を目指した科目分類に拘らない独習書である(略)時間を掛けて読まれることを希望する」とある。返却期日までに読めないことは分かっていたが、本書の概要を知りたくて図書館から借りてきた。数学を軸にした科学的知識の独習百科とでも言えばいいか、詳細な索引の終わりが何と1001ページ、厚みが5cmほどもある。現代ではこういう包括的な知を目指すアカデミックな姿勢は得難い。
倉橋由美子著『幻想絵画館』(文芸春秋1991/9)*晩年に著者が書き継いでいた所謂<桂子さんシリーズ>の1冊、孫の慧君が主人公、絵画と短編をセットにしてインターネット時代の幻想譚を独特の明晰で枯れた文体で紡いだ贅沢な短編集。