武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 11月第3週に手にした本(14〜20)


*情けないことに書庫にあることを忘れて同じ本を買ったり、読んだことすら忘れたりするようになってきた。読んだり読みかけたりした本を備忘録としてメモ、週1で更新していきます。
◎ヴァン・ローン著日高六郎、日高八郎訳『人間の歴史の物語(下) 』(岩波少年文庫1978/11)*先週の上巻よりもこの下巻の方が内容が充実している。歴史を綴る楽しみは、総括的な視野を手に入れることにあるなら、著者はこの巻でその意図を成功させている。私は、その成果を読むのがとても楽しかった。西洋史を広角レンズで見るような驚きを味わえる名著。勿論とても分かりやすい。
◎ディーン・クーンツ著中原裕子訳『オッド・トーマスの霊感』(早川文庫2009/3)*死者の霊を見る能力を持つ純朴な青年を主人公にしたシリーズ第一作。クーンツが意図して軽妙洒脱な文体を駆使している。明るい気分でいつものハッピーエンドまで、一気に連れていってくれる。霊感や超能力を信じているわけではないが、大人のファンタジーの小道具としてクーンツが使いこなすときはあまり気にならない不思議だ。
小島政二郎著『食いしん坊2』(朝日文庫1987/6)*美味しい食べ物から始まって、話がどこに行き着くか分からない自由気儘な随筆。相当の偏食を自負する著者が、自らの偏食を自覚しながら、偏愛する食材の美味を追求する姿が何故か憎めない愛らしさに繋がってゆく。軽いタッチの文章がリズミカルで楽しい。70年代前半のエピソードなので、バブル以前の長閑な時代の雰囲気が味わえる。
尾崎秀樹著『大衆文学論』(講談社文芸文庫2001/5)*大衆文学論に一つの基礎を提供した著作として同じ著者の力作「大衆文学の歴史」と共に重要な文献。大衆文学理論構築を目指して多様な視点からの試行錯誤が興味深い。付録として年譜と著作目録、人名索引が付いているので使いやすい。
尾崎秀樹著『大衆文学の歴史(戦前編) 』(講談社1989/3)*素晴らしい力作、大衆文学は作品も作家も人気沸騰の一時期を過ぎるとたちまち忘れ去られてしまう傾向があるので、詳細な流れを歴史として跡づけたこういう記録性のある資料は極めて貴重、自分が生まれる前の出来事なので記録を辿るのがとても楽しい。
◎リチャード・アダムス著ディビッド・ゴダード絵/岡部牧夫訳『四季の自然』(評論社1978/4)*イギリスの四季を森、草地、水辺の3地点を元にして、そこに住む動植物を詳しく見つめた自然観察入門書、絵と文章が美しい大人の絵本、30年以上前に入手して、折に触れて眺め楽しんでいる。リチャード・アダムスは動物冒険ファンタジィの傑作『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』の作者、自然描写はさすが。
小島政二郎著『小島政二郎全集第4巻』(鶴書房1968/1)*「食いしん坊2」が思っていた以上に面白かったので、1〜3を収録してある全集4を入手した。あとがきによると1はよく売れたが2はあまり売れなかったらしい。2から読んで気に入った私はどうかしているのだろうか。味の話になると、どなたも皆昔の方がもっと美味しかったという。味覚が堕落したとまで言う。本当かな。
森枝卓士著『味覚の探求』(河出書房新社1995/2)*食の本を読むと、味の話が中心となるので、味覚の基礎知識が得たくて手にした。冒頭、食べ物について書くとき「美味しい」「旨い」と言う言葉では味のコミュニケーションは成り立たないので、禁句というフレーズに出会った。意味不明の感嘆詞、叫び声と同じというのはよく分かる。味覚探求の結論は、複雑すぎてよく分からないと言う結論、結局こう言うしかないのか。
◎ジャック・ピュイゼ著/鳥取絹子訳『子どもの味覚を育てる』(紀伊国屋書店2004/9)*30年前からフランスで始まった子ども達への味覚を目覚めさせるための食育カリキュラム。10回で構成される味覚の授業プランのなんとオーソドックスなこと、「食卓を妨害するもの」と「地方の特産物」が授業としてそれぞれ1回分とってあるのはさすが。
◎都甲潔著『味覚を科学する』(角川選書2002/11)*酵素や微生物などの物質を使用したバイオセンサーを利用して、味を数量化する技術が、食品製造の現場で使われている。味覚を定性的な分析から定量的な測定へとシフトさせることが出来れば、味覚の曖昧さが回避できるかもしれないと考え、本書を手にした。第5章の味覚センサーが一番興味深かった。
◎ロバート・カニ-ゲル著/田中靖夫訳『無限の天才―夭折の数学者・ラマヌジャン』(工作舎1994/9)*インドが生んだ奇跡の天才数学者ラマヌジャンについて知りたければ、本書がベスト、綿密な取材と巧みな構成が、ラマヌジャンの生涯を鮮やかに浮かび上がらせる伝記の傑作。若干32歳の生涯は、モーツアルトの35歳よりもさらに短い。だが輝かしさにおいては甲乙付けがたい。インドでしか生まれ得なかった超天才。