武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 奥谷博「奥谷博自選展―愛と生命の刻を描く―」の印象記


伊豆の温泉に行くとき、伊東市の池田20世紀美術館を訪問するのを楽しみにしている。今回もユニークな企画展で知られている個展が、奥谷博展だったので早速行って見てきた。
池田20世紀美術館に初めて行った時は、一階部分の広いフロアーを使った常設展示に吃驚した。近代から現代にかけての名品が、実にさりげなく展示してあり、蒐集のレベルの高さに目を瞠った。常設展示を見終わって、階段を下りて、地下一階の企画展に進んでさらに驚いた。
企画展はいつも、作数の多さと質の高さで、常設展示を凌ぎ素晴らしいの一語に尽きる。現代美術は人によって大きく好みが分かれるので、あるいは気に入らない向きもあるかもしれないが、私にはとても好ましく、一度はまとめてみたかった画家の個展がよくここで開催されている。
ここの展示の良いところは場所がやや辺鄙なせいか、いつ行っても混み合うと言うことがなく、自分たちだけで静かに心ゆくまで絵を集中して鑑賞できるところ。個室で鑑賞しているような贅沢な時間が持てるところが何よりも気に入っている。団体客などにぶつかったときには、喫茶室ですこし時間をずらすとじきに静かになる。

今回は奥谷博の自選展、油彩とデッサンが合計34点、惜しげもなく大作が多数展示してあり、たっぷりと奥谷博の世界を堪能できた。
鮮やかな色彩を使い、筆の跡を感じさせない緻密なタッチで細部まで入念に描き込まれた構図や色使いは驚くほど大胆、固有の情景を遠く離脱した構成なので、大きく分ければ幻想絵画と呼んでいいのかもしれない。
ただ、様式美を過度に追求しているので、この国の伝統的な<日本画>を油彩で追求しているようにも見える。作者自身の言葉に、「私は日本人であり日本の油絵を、作家の自覚ににより世界に対して発信できるものを志す」あるように、近年の新しい作品になるほどその傾向が強く感じられた。
今にも動き出しそうな姿勢のまま、すべてが凍りついたようにいやそれ以上に化石にでもなったかのように静止している静謐なたたずまいが何とも言えない。絵の前で釘付けになる時間の何と心地良いことよ、時間の流れがしばらく止まったような錯覚すら覚える。
一つだけ気になったことがある。作者である奥谷さんは、絵を描くことを楽しんでいるのかどうか、あるいは描き続けて来たことが楽しかったのかどうか、絵を見ているだけでは分からなかった。年のせいか、画面から描く楽しみがにじみ出るような絵に一層引かれるようになってきているので、この点がチト気になった(苦笑)。
1月11日までこの個展は続いているので、伊東市へ行く機会があったら、是非ご覧になることをお勧めしたい。