武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 ベトナム旅行印象記(3)


ベトナムは南北に長い国なので、この日は北部のハノイから中部のフエまで1時間の飛行機移動、4時にホテルを出発、6時のフライトで7時にフエ到着、直ぐにバスで市内観光。
フエは、ベトナム戦争の時、1968年<テト攻勢>の最大規模の激戦地、北ベトナム軍の一時占領と、アメリカ軍の空爆と奪回の戦闘により、市街地の近世王朝遺跡は壊滅的な被害を受け、約1万人の住民が犠牲になったと言われている中世都市。既に40年以上が経過しているためか車窓から見る限り、ベトナム戦争の激戦地だった名残はどこにも見あたらない。
阮朝の王宮の遺跡に行き、在りし日の壮大なスケールをしのばせるジオラマを見ると、旧王宮のほとんどが戦争によって破壊しつくされていることがやっと分かり慄然となる。ただ残念なことにこの日の天候は、横殴りに雨風が吹き付ける荒れ模様、慌てて登山用の雨具を身につけ、折りたたみ傘が役に立たないほどの土砂降りで、観光どころではなかった。落ち着いて古都の王朝遺跡を見学するには、いささか気持ちにゆとりがなく、残念だった。続いてバスで移動して、カイディン帝廟とティエンムー寺を暴風雨の中、びしょ濡れになりながら観光した。
(暴風雨の中、王朝の遺跡観光に向かうツアーの皆さん、気分は観光どころではなかった)

フエ市内のレストランで昼食をとり、午後は一時期は1000人以上の日本人が暮らしたという中継貿易都市ホイアンへ。ホイアンでは幸いなことに雨も止み、シクロに乗って福建会館、海のシルクロード博物館、来遠橋などを観光した。ごみごみした狭い旧市街地を移動するのには、シクロという移動手段は手頃でなかなか良かった。運転してくれた叔父さんの風貌には、見るからにベトナム戦争を生き延びた逞しさがあり、印象に残った。 (画像は福建会館で見た1ヶ月間燃え続けるという祈願用の長い渦巻き型線香)