武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

12月第4週に手にした本(26〜1)

*情けないことに書庫にあることを忘れて同じ本を買ったり、読んだことすら忘れて図書館に予約を入れたりするようになってきた。読んだり読みかけたりした本を備忘録としてメモ、週1で更新していきます。

藤原定家著/今川文雄編訳『明月記抄』(河出書房新社1986/9)*膨大な漢文日記を訓読した抄録、定家19歳から74歳までの55年間にわたる日記、この国の日記文学の最高峰でありながら国文学研究者でなければか簡単に手に取れなかった文献、訓読でも読みやすいとは言い難いが、全編訓読版を発行した今川文雄氏の業績は素晴らしい。次のステップとして、どなたか平易な現代語訳に挑戦してくれないだろうか。
◎西條嫩子著『西條八十』(中公文庫1978/11)*西條八十の長女による回想を主体にした評伝(?)、家族にしか書けない身辺日常のエピソードと、家族故に書けなかったものがあるのであろうが、生誕100年以上経過した人物の等身大の人物像が得られる好文献。
福永武彦中村真一郎丸谷才一共著『深夜の散歩―ミステリの愉しみ』(講談社1978/6)*ミステリ好きの文豪3人による海外ミステリエッセイ、寛いでいると見せて実は相当に凝った筆運びで綴られた海外ミステリ噺。30年以上前の探偵小説ファンには、たまらなく懐かしい読み物だろう。
◎辰巳浜子『 私の「風と共に去りぬ 』(南窓社1978/6)*長い間捜していたこの本をやっと入手した。全体が「私の「風と共に去りぬ」」、「旬づくし」、「暮らしの向付」、「母辰巳浜子小伝」の4部構成。辰巳浜子による自伝と、長女房子による浜子の小伝に2つの食べ物エッセイが挟まれている。やはり最初の浜子の自伝が、混乱した戦後社会を逞しく生き抜いた主婦浜子の姿をありありと伝えて最も生彩に富み、読み応えがある。この方の食の季節感は、野菜作りをしている者の感覚、知識や理屈でない基盤にのっているのがいい。
野田知佑著『ともに彷徨いてあり―カヌー犬・ガクの生涯』(文藝春秋2002/4)*14年間生活と冒険を共にした愛犬ガクを中心にした傑作動物記、飼い犬は飼い主に似るの通例通り、好奇心の強い元気溢れる犬の話なので、読んでいてこちらまで元気になる。カヌーイスト野田さんとここまで行動を共に出来るのは犬でなければ無理だろうなと言う気がする。自由人と行動を共にした自由犬の自由な生涯である。最後の別れが哀切で少々辛い。野田さん久々の力作、野田さんの最高傑作になるかもしれない。
藤本由香里著『私の居場所はどこにあるの?―少女マンガが映す心のかたち』(朝日文庫2008/6)*60年代以降、表現領域の拡大と深化を遂げてきた少女マンガの世界を、表現に即して解読する力作マンガ評論。
◎埴沙萠著『野の花山の花大図鑑』(講談社1985/6)*花々の写真は生き生きしていてとても素晴らしい。大きくて持ち運べないことと、図鑑としての完成度は今一歩、機能的な図鑑作りはきわめて難しい、花の写真集として愉しむ方がいいだろう。
◎佐々木力『数学史』(岩波書店2010/2)*この国初の本格的な数学思想史の通史ではないだろうか、本文が800ページを超える大著なので、図書館の貸出期間ではとても読み切れない内容を持つ、著者の畢生ののライフワークとなろう。