武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 1月第4週に手にした本(24〜30)

*情けないことに書庫にあることを忘れて同じ本を買ったり、読んだことすら忘れて図書館に予約を入れたりするようになってきた。読んだり読みかけたりした本を備忘録としてメモ、週1で更新しています。

◎磯山雅著『マタイ受難曲』(東京書籍1994/10)*バッハの最高傑作、マタイ受難曲に関する音楽評論、これほどに本格的なものが日本語で書かれ読めるとは。細部への詳細な接近を愉しみながら、CDを聞き返す楽しみを満喫できる。宗教音楽への接近のあり方に、大きな道筋をつけた力作音楽評論。
◎あらえびす著『名曲決定版』(中央公論社1977/6)*銭形平次捕物控の著者である野村胡堂の別名<あらえびす>によるレコード音楽評論集、音楽がレコードに録音され始めた頃からのSP〜LP時代の今は昔アナログメディアが全盛だった頃に、西洋音楽に熱中した元祖オタクの音楽論。40年の研鑽を1年掛けて書きまとめたという究極の趣味の総括、情報としては古いが好きな道に邁進した体験から生まれた文章には得も言われぬ説得力がある。800ページの大部な著作なので、しばらくはこれで愉しめる。趣味を極めた文体は堅牢そのもの。
小林信彦著『地獄の読書録』(集英社1980/9)*60年代のミステリィ、サスペンス、SF、スパイ物など翻訳物娯楽小説の月評集。30年代生まれの著者も若く、40年代生まれの私も若く、45年生まれの戦後日本も若かった時代、何故か翻訳物の娯楽小説が眩しいほどに面白く、貴重な時間を惜しむ間もなく浪費させられて愉しかった。読み損ねた面白本がいっぱい見つかり、図書館で探して再び愉しい時間に回帰出来そう、現在進行形の60年代の香りがする。
◎磯山雅著『バッハ、カンタータの森を歩む2―「マタイ福音書」によるカンタータ1』(東京書籍2006/1)*シリーズの2巻目、詳細な著者の解説により、遠くにあったカンタータの宗教音楽に少し近寄ることが出来たので、本書を手にした。バッハ・コンテェルティーノ大阪による付録のCDも、今まで耳にしたことのない響きで、宗教心のない聴き手にとっても、曲の良さが分かりやすかった。西洋の受容のあり方の飛躍的な進歩ではないか。
村上春樹意味がなけてばスイングはない』(文春文庫2008/12)*以前に単行本で読んでいたのを文庫で見つけたので再入手、春樹の音楽エッセイは短いものが気に入っていたので、以前はあまり感心しなかったが、今回再読してみて、音楽家の評伝的エッセイを短編小説を読むような感じで読んでみたら、捻りのきいた春樹節が愉しめた。
宮川淳著『宮川淳著作集1』(美術出版社1980/5)*3冊の美術評論集「鏡・空間・イマージュ」「紙片と眼差とのあいだに」「引用の織物」とその関連エッセイを集めた大部な一冊、60年代の終わり頃、「鏡・空間・イマージュ」を手にして、軽やかで鋭く透明感のある文体に魅了されたが、いつの間にか手放し、遠ざかってしまったが再び手にして、感興が溢れ出た。60年代から70年代にかけて、半世紀も前の思索が少しも古びていない。繊細で切れ味鋭い文体が新鮮、絶版となり高価で取引されているのが惜しい。
野村胡堂著/末國善己篇『野村胡堂探偵小説全集』(作品社2007/4)*銭形平次の原作者である野村胡堂のあまり知られていない探偵小説を集めた1巻。探偵・花房一郎シリーズから13篇、シリーズに入らない短編を4編、少年少女向け探偵小説を7編に探偵小説に関連するエッセイを加えた構成、著者を詳しく知りたいマニアックな仕上がり。
野村胡堂著/末國善己篇『野村胡堂伝奇幻想小説全集』(作品社2009/6)*戦後版の「奇譚クラブ」全作品17編と伝奇短編小説11編と児童向けの伝奇物語1編が集められている。上記の探偵小説全集と合わせて、一般には知られざる野村胡堂の物語作家として全貌を知る貴重な資料となった。
近藤史恵著『サクリファイス』(新潮社2007/8)*sacrifice=犠牲的行為という題名が、物語の舞台である自転車ロードレースとどんな関係があるのか、それは読んでのお楽しみ。描写が簡潔でスッキリしていて、展開もスピーディ、盛り上げ方も巧みで、読後感も爽やかだった。ミステリィとしては薄味の部分を、自転車競技のスリルがカバーしている。続編があるようなので読んでみたい。