武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 8月第4週に手にした本(22〜28)

*情けないことに書庫にあることを忘れて同じ本を買ったり、読んだことすら忘れて図書館に予約を入れたりするようになってきた。読んだり読みかけたりした本を備忘録としてメモ、週1で更新しています。(今週もたくさんの本を手にしたが全部読了できたわけではありません。)

アゴタ・クリストフ著/堀茂樹訳『文盲』(白水社2006/2)*先月の27日に移住先のスイス・ヌーシャテルでこの著者は亡くなった。評判になった「悪童物語」は、衝撃的な読み物だったが、続編は気が抜けた炭酸飲料のようで感心しなかった。この短い自伝作品は、再び悪童物語を彷彿とさせる簡潔な厳しさが随所に顔を見せており、難民の悲劇に引き込まれた。20世紀後半の革命と戦争の混沌が生んだ世界史的な表現者だった。ご冥福をお祈りしたい。
◎ヴィトルト・リプチンスキ著/春日井晶子訳『ねじとねじ回し/この千年で最高の発見をめぐる物語』(ハヤカワ文庫2011/5)*機械と物作りが好きな人なら、一度はネジの素晴らしい機能に気がつき舌を巻いたことがあるのではないか。接着ではなく止めて取り外しが出来るというこの機能は凄いと思う。機械工学の底辺は、ネジによって支えられているのではとずっと思ってきた。本書はそんなネジの来歴を探索したエッセイである。現役のネジの世界の膨大な広がりについての補足があればもっと良かったと思うが、ネジと周辺の道具・工具の来歴について期待以上の知識を得ることが出来、とても満足した、良質の科学エッセイである。
◎高田宏著『言葉の海へ』(新潮文庫1984/2)*77年にこの本の元版を読み、大槻文彦の偉業と、その苦闘を詳細に跡づける本書の緻密な構成から、仕事に打ち込むことへの大いなる励ましを得た。30数年ぶりに再び手にとって、すっかり忘れていたあの頃の感激と、新たな発見にワクワクしながら読んだ。著者の最も脂がのりきった時期の文句なしの傑作である。
沼野充義著『夢に見られて/ロシア・ポーランド幻想文学』(作品社1990/8)*スタニスラフ・レムを生んだロシアの幻想文学の土壌が知りたくて本書を手にした。やはり背後には、豊かな幻想文学の蓄積があることが分かり、読んでみたい作品も見つかった。こう言うマイナーなジャンルにも才能ある研究者がいることは極めて有り難く嬉しい。
山村修著『増補/遅読のすすめ』(ちくま文庫2011/8)*新潮社の元版と比べると、増補と銘打っているだけに約2倍の内容になっている。1部は「遅読のすすめ」、2部には著者の書評と読書エッセイがタップリ納められている。2部の中では「本が好きになる本の話」のエッセイ群が充実していて愉しかった。本を読む愉しみを語らせたら、この著者の右に出る人はあまりいない。元版を持っている人も、本書を買って損はない。
石川啄木著『一握の砂』(新選名著復刻全集/近代文学館1982/11)*復刻の奥付を見ると明治43年11月となっている。1ページに2首ずつを配置した独特の3行行わけのレイアウトは、読みやすく啄木の意外性に富んだ語句のつながりを通して、悲哀を含んだテクストを浮き彫りにしてくれる。見事な本造りである。上下を少しカットしたサイズも、余分な余白を減らす作品を生かすピッタリサイズ、初版のスタイル自体が傑作の形をしている。手にとってページをめくって愉しんだ。限りなく新体詩に近付いた短歌のスタイルだった。