武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 9月第3週に手にした本(12〜18)

*情けないことに書庫にあることを忘れて同じ本を買ったり、読んだことすら忘れて図書館に予約を入れたりするようになってきた。読んだり読みかけたりした本を備忘録としてメモ、週1で更新しています。(今週もたくさんの本を手にしたが全部読了できたわけではありません。)

ダニエル・タメット著/古屋美登里訳『ぼくには数字が風景に見える』(講談社2007/6)*生まれつき社会関係の認知に障害のあるアスペルガー症候群の著者自身による、詳細な生い立ちの記、一時期、同じような少年と付き合ったことがあるので、身につまされて読んだ。自分自身人とは違うという疎外感に苦しんだことがあるので、驚くほど感情移入して読めた。独りぼっちでいることの多い本好きの子を見かけたらプレゼントしてみたい。
横溝正史著『人形佐七捕物帖』(光文社時代小説文庫2003/1)*200編を越す長大なシリーズから名作10編をセレクトした傑作選、合理的な推論に重きを置いた推理ものの味付けが濃い捕物帖である。シリーズの他作品が本として入手困難なのが残念。グーテンベルク21の電子出版なら読めます。
堀田善衛著『堀田善衛上海日記』(集英社2008/11)*1945年〜47年における著者27歳〜29歳時の、上海滞在時の日記、愛読者向けのマニアックな読み物である。私的には、堀田夫人となる中山れいとの哀切な愛情物語が印象深かった。敗戦前後の混乱期を、国際都市上海で過ごしたことの、堀田に与えた人間形成の影響は、どんなに大きかったか、想像しながら読んだ。
メルヴィル・ディヴィスン・ポースト著/高橋朱美訳『ランドルフ・メイスンと七つの罪』(長崎出版2008/3)*推理小説史で初めて登場した悪徳弁護士を主人公にした古典的ミステリー、倫理やモラルの一欠片もないメイスンの悪役ぶりは、1896年出版から1世紀以上経過した現在でも全く色あせていない。いやむしろ、現在でもこれほどに悪に徹した悪役を主人公にしたフィクションを書く勇気のある作家は珍しいのではないか。大藪春彦を思いだした。
寺山修司著『寺山修司少女詩集』(角川文庫1980/1)*センチメンタルかつ通俗的なステージを仮構し、少女という叙情的な装置を媒介にして、寺山修司が自らの優しさと残酷さを、これでもかとさらけ出した、もっとも寺山修司らしさの溢れた詩集。高齢者(私/笑)が読むと、恥ずかしくてたまらない気持ちが何度もこみあげてきます、技巧的な少女趣味の世界。
柳原和子著『がん患者学/長期生存をとげた患者に学ぶ』(晶文社2000/7)*癌からの長期生存をやりとげた著者の渾身の癌闘病ルポ。自らの体内に巣くう子宮癌をテーマにした迫真の当事者性が、私小説のような説得力の基盤になっている。癌という病気は、患者一人一人の体質や生き方を反映する、超個性的な顔つきを持つ、不思議な病気だ。一筋縄でゆかない癌の奥深さが捉えられている力作ノンフィクション。