武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 3月第5週に手にした本(26〜1)

*情けないことに書庫にあることを忘れて同じ本を買ったり、読んだことすら忘れて図書館に予約を入れたりするようになってきた。読んだり読みかけたりした本を備忘録としてメモ、週1で更新しています。(今週もたくさんの本を手にしたが全部読了できたわけではありません。

音楽之友社編『演奏家事典(上)(中)(下)』(音楽之友社1982/3)*30年前の古書なのでこの種の事典としてはかなり古い、発刊当時欲しかったが個人が家庭に備えるにしては大きすぎる気がして諦めたもの、定価の1割で手に入ることが分かり、つい購入してしまった。当時現役だった音楽家の相当数が故人となり、新人や中堅だった人が大家にまで成長しているほか、音楽家としての有り様がほぼ現代でも同じだったりして、内容の有効性が保たれていることに感心した。しばらく忘れていた音楽家に久しぶりに再会したりして、読み物として愉しんでいる。
◎西川恵著『エリゼ宮の食卓/その饗宴と美食外交』(新潮文庫2001/6)*料理やワインを国際外交の視点から捉えたユニークな美食外交レポート。国際ジャーナリストの視点から晩餐会などの料理に踏み込んでゆく発想が素晴らしい。どんな取材網を持っているのか、描かれている饗宴の場面がリアルで、ワインや料理に対する著者の理解が行き届いていて、知らなかった世界が鮮やかに行間に展開する。世界史レベルになると料理も外交のシグナルに変身することが分かり、庶民の食卓の気楽さが有り難い気がした。それにしてもこの著者の取材の深度と味覚に対する蘊蓄には舌を巻く。名著である。
◎大木正興著『演奏家事典』(名曲堂1953/7)*日本では51年に初めてLPレコード発売なので、50年に出た初版とほとんど同じ内容となると、本書のデータはすべてSPレコードによるもの。にもかかわらず膨大な情報量を盛り込んだ個人によるこのような著作が可能だったというその事実に感心した。半世紀以上前のセピア色の音楽情報を古色蒼然とした古さを愉しんでいる。著者が評価しない音楽家への否定的評価は厳しいく、身が竦む思いがした、昔はダメなものはダメと随分とはっきり言ったのだ。
◎ネルソン・デミル著/白石朗訳『王者のゲーム(上)(下)』(講談社文庫2001/11)*2000年に原書がアメリカで出版され、翌年に9・11同時多発テロがあったことを思うと、本書の内容の先見性に目を瞠る思いがする。抜群のストーリーテリングもさることながら、主人公が絶えずまき散らす軽口やシャレが何とも愉しい。上下巻あわせて1500ページ近い長編ながらぐいぐい引っ張ってくれる。アメリカでベストセラーになった訳も肯ける。物語で憂さを晴らしたい人向き。
◎スチュアート・ヘンリ著『北アメリカ大陸先住民の謎』(光文社文庫1991/4)*先週、同じ著者の本を読み面白かったので、著者の本業に近いより民族学的かつ考古学的な本書を手にした。貴重な画像を多用した分かりやすい内容に感心した。北米の森林限界以北に暮らすエスキモー(イヌイット)の人々の文化と歴史に関心のある人にとって、入門書的な役割をはたしてくれそう。手軽なエスキモー民族図鑑。
加藤久晴著『傷だらけの百名山』(新風舎文庫2005/4)*古き良き時代の登山が、観光としての登山やビジネスとしての登山により、見るも無惨な崩壊状況にあることのルポであり、問題提起の書。心ある人は、もう山へは行かなくなっているのかも知れない、という気がした。
川島四郎著『日本食長寿健康法』(新潮文庫1986/12)*すべての養生法や健康法のたぐいは眉唾だと思っているので、本書も斜め読みだったが、野菜の食べ方に我が意を得たりと思うところがあった。「おひたし」という野菜の食べ方を推奨していて、同感だった。日本食の雑学集のようで気楽に読めて、肯けるところも随所にあったが、科学的なエッセイを期待しないほうがいい。