武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 8月第3週に手にした本(13〜19)

*八月も半ばを過ぎると、朝晩は若干風が涼しくなるが、日中はまだまだ猛暑が続いている。星野道夫を読んでいて、以前にアラスカを旅したことを思い出した。八月だったが、天候が崩れると、秋の気配が濃厚に立ちこめた。面白い本を読んでいても、あまりに暑いとストーリーの繋ぎ目が頭の中で溶けて蒸発しそうで困る。

山田風太郎著『警視庁草子(上) 』(文藝春秋1975/2)*明治の時代を時代小説の舞台に使いこなした当時画期的に新しかった伝奇短編連作。崩壊してまもない江戸町奉行所&出来たばかりの明治政府警視庁、この新旧二つの警察機構の確執を背景に、維新当時の世相を短編仕立てで描いた娯楽読み物、山田風太郎独特の大胆な筋立てが、不思議に時代にフィットして、荒唐無稽な話にほとんど違和感を感じさせない、見事な語り口を堪能できる娯楽読み物の傑作である。有名な歴史上の人物が随所に顔を出して、読者を愉しませる仕掛けが愉しい。

野崎六助著『リュウズ・ウィルス/村上龍読本』(毎日新聞社1998/1)*十年以上前に読んで感心した本だが、今回読み返して、その後もこれを超える村上龍論はお目にかかっていないと感じた。村上龍の文体に対抗するかのように、硬質の文章で綴られていて読みやすくはないが、村上文学の本質を鋭く捉えた力作評論。従来の文藝評論の枠からはみ出す視座にこの著者は立っており、独自の世界を構築している。

星野道夫著『星野道夫著作集3』(新潮社2003/6)*エッセイ集「旅をする木」と写真集「アフリカ写真集」および講演録を収録。お目当てはアラスカ エッセイの「旅をする木」、以前に単行本で手にしたことがあるが、過酷な残暑に耐えかねて暑気払いをめあてに手に取った。星野の自然賛歌は、強烈な思い入れの産物なのに、不思議とわざとらしさや不自然さをあまり感じない。自らが現場に浸透して生み出した作品だからだろう。写真も文章も大変に美しい。どなたかが言っていたが、現実の猥雑さを一時的に忘れさせてくれる。

◎ヴァン・ルーン著/玉城肇訳『芸術の歴史(1) 』(新評論社1955/6)*壮大なスケールで展開するこの著者の歴史啓蒙書がわたしの好み。この5巻シリーズも古くて時代遅れであることは承知の上で手にした。自ら挿画を描くのもこの著者の特徴、内容を分かりやすくするための手立てだろう。本巻は先史時代から古代ローマ崩壊あたりまで。この本も想定している読者は子ども達ではある、子供向けではない。

沢村貞子著『わたしの献立日記』(新潮文庫1997/3)*名優沢村貞子の生き方がもっとも鮮明に出ている料理本の名著、単行本がでたのが88年、その時すぐに買って読んだが、いつの間にか行方不明に。伝統的とされる日本の日常的な家庭料理の完成形態がここにある。日本的な身の処し方、行住坐臥のあり方について教えられることが多い。