武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 11月第3週に手にした本(12〜18)

*冷え込みがきつい朝、武蔵野の開けた場所には初霜が降りた。とうとう木枯らし1号も吹いた。今年の秋は短かった。アッという間に、秋晴れが冬晴れに入れ替わってしまった。寒さに弱い畑の一年草は、もうこれ以上緑を維持できなくて、葉先からみるみる枯れ色が広がってゆく。霜が縁取った葉っぱは美しいのだけれど。

井上ひさし著『吉里吉里』(新潮社1981/8)*ルビと方言の文学的可能性をこれほど豊かに追求した作品を他に思いつかない。30年前に発売と同時に読み、笑いをこらえながら読んだことを思い出した。現代のセルバンテスだと再確認した。

目加田誠著『中国文学随想集』(龍渓書舎1986/9)*聊斎志異の翻訳者柴田天馬にゆかりの人物を拾い読みしていて、この碩学に辿りついた。老後の身辺随筆に期待以上に手応えのある文章が多く、思わぬ収穫だった。閑適という言葉に包まれたような老境の渋い輝きは滋味に満ちている。

山本有三著『戦争とふたりの婦人』(岩波書店1939/9)*著者の振り仮名廃止論を読みたくて手にした。この本が、この国の出版物に影響を与えるようなインパクトを持っていたとは、不思議だった。昔読んだ「路傍の石」という物語も好きになれなかったが、この本も同じ。

黒田真美子著『中国古典小説選9・10聊斎志異1・2』(明治書院2009/4・10)*聊斎志異の原文と書き下し文、現代語訳を語注と見比べながら読める便利な本、全編に「詳注聊斎志異図詠」の小さな図版がついている。

◎竹内実著『中国愛誦詩選/愛のうた』(中公新書1990/6)*原文と訳文と短文のコメントという構成、訳文は、可能な限り原文を生かして、巧みなルビによって原詩の意味と雰囲気が伝わるよう工夫してある。<長恨歌>の訳文が圧巻。

海音寺潮五郎著『海音寺潮五郎詩経』(中公文庫1989/12)*紀元前千年頃に成立した、中国最古の詩篇が読みたくなって手にした。著者は病床でこの訳をつけながら、闘病生活の憂さをかわしたことだろう。淡々と積み上げてゆく、工夫を工夫と感じさせない見事な訳文。古代中国文明に暮らした人々の心情は遠くない。