武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 新たな生活空間の構築(9)

山荘から武蔵野の現住所に帰ってきて体感するのは、真夏日の<蒸し暑さ>の大きな違いである。
はっきり言って山荘は涼しく、現住所は蒸し暑い。
その理由について調べてみた。


 1、まず標高が違う。現住所の標高は約65mであるのに比べ、、山荘の標高は約470mである。単純化して標高差は約400mと考えると、100mにつき0.6度気温が低くなるので、標高差だけでも約2.4度下がる計算になる。しかし、実感としてはそれ以上に涼しさを感じるのはどうしてだろう。


 2、山荘を取り囲んでいる山林から気持ちのいい風が吹いてくる。枝葉が揺れると室内に涼しい風が舞い込んでくる。この落葉樹を主体にした雑木林の樹木が涼しさの何らかの要因になっているのではないだろうか。そのことについて考えてみることにした。(画像は山荘を取り囲んでいる雑木林と雑草)


 3、窓を開けていると網戸を通ってひんやりとした冷風が室内を通り抜けてゆく。これも涼しさの原因に違いない。周囲が山林の場合、そこを吹く風は林の樹木の間を通り抜けてきた風である。林を吹く風はなぜ涼しいのか。理由は二つあるようである。一つは、生きている樹木の葉には、常に根から吸収した水分が補給されており、気温が上がると気孔から水蒸気が蒸発して、周囲の空気を冷やす仕組みになっている。従って、樹木の周りの空気は周囲よりも湿度は高いが温度は低くなるのである。


 4、周りに木が植わっていると涼しくなるもう一つの理由が面白い。葉の周辺では水分の蒸発によって湿度が高くなり、日向側では温度も高くなるので、部分的に上昇気流が発生、逆に日陰側は涼しいので下降気流が発生、樹木の周りでは緩やかな空気の循環がうまれ、木の下には涼しい風が吹き降りてくると言うのである。


 5、3と4の理由により山林でつくられた涼しい空気が、山麓を吹く風に運ばれて山荘に届き標高差以上の涼感を演出してくれているのである。これが山荘の涼しさに大きく寄与しているように思われる。


 6、もう一つ、山荘の敷地の脇には山麓を流れ下ってきた沢が流れている。この沢の水は非常に冷たい。この沢の存在が、周辺全体の気温上昇を抑制しているもう一つの理由ではないだろうか。窓を開けていると、遠くからホワイトノイズのような流れの音がかすかに聞き取れるので、気分的にも涼感に一役かっているような気がする。


 近年、武蔵野の夏の厳しさは、老体には相当のストレスになってきているので、夏場は山荘が避暑空間として、これまで以上に利用の機会が多くなるに違いない。それにしても、山荘周辺の雑草の成長ぶりには目を見張る。涼しい時間帯の夏草との闘いは当分、休みなく続きそうである。残念ながら、これは相当に熱い闘いになってしまっているのが実情である(苦笑)。