武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 新たな生活空間の構築(13)


《工房を手に入れる》

子供時代をすごした生家は農家だった。
敷地に農作業ができる納屋があり、作業ができるしっかりした空間があった。
おかげで子供時代には工具を使って好きなだけ工作に夢中になり
手足に無数の小さな切り傷をこしらえた。


高校生になって生家を離れたので作業空間を失ったけれど
校舎には美術室や工芸室があり使える工作空間は何とかなった。


就職して首都圏で生活するようになって自由に使える工作空間にアクセスし辛くなった。
それでも職場の作業空間を借用したりして物づくりの空間を何とか確保してきた。


困ったのは退職してから、職場の作業空間は使えず
自宅には作業ができるような空間がない。
知り合いの農家の庭を借りたりして作業してみたが
移動の手間と雨が心配で落ち着いて作業できるような環境ではなかった。


幸いだったのは、退職して最も熱中したのが読書だったので
60歳代のほとんどの時間をついやして
長年の読書に対する欲求不満を解消した。
おかげで手元に蔵書がたまり過ぎて生活空間を圧迫してきた。
地震がきたら圧死しかねないまでの蔵書の谷間。


やむなくもう一つの住居を探し
それほど遠くない地方の山麓に格好の空き家をみつけた。
その空き家の壁面に蔵書を移動するために
壁一面の本棚を製作することにした。


幸いに工作ができる工房がとれたので
手持ちの工作機を移動、材料を仕入れて工作を再開
作業の進み具合につれて物づくりの感覚も蘇ってきて
建物の歪みと工作の精度をすり合わせる現場の要領も手探りでみつけ
必要な完成度に到達できるようになった。
(画像は山荘の工房、約20㎡、12畳ほどの空間)


そこで気づいたことだが
作業をするためには適度な空間が必要で
都市生活の住空間には作業空間が足りないということ。
唯一の作業空間は台所だが、調理に便利なように特化されていて
あとは手紙の読み書きぐらいにしか使えない専用空間である。
ほとんどの作業は工場で行われ
家庭では完成した商品を消費するだけになっている。
ミシンすらない家庭が多いのは使う空間と使う必要がないからだろう。
砥石も鉋も、鋸も金槌も、ドライバーもペンチも
身の回りの工具が身の回りから消えてしまったのも
作業をする空間と作業をする必要がなくなったからだろう。


個人的には、道楽や趣味と言われても
道具や工具を使いこなして作業や工作を続けていきたい。
指先に神経を集中し伝わってってくる感触を確かめ
思い描いたプラン通りに形と機能を作り出してゆくことの心地よい満足。