武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 新たな生活空間の構築(64)


《野良猫サンちゃんその4》

 山荘に遊びに来るようになったサンちゃんとの付き合いが長くなってきた。最近の興味は、屋外での生活時間が長い野良猫生活にとって、寒さが厳しい冬の山里での生活がどうなるか、好奇心半分、心配半分で様子を見守っているところである。

 ツレと相談の上、あまりに冬の暮らしが大変なようなら、家猫にできないかと猫用トイレの準備をしたものの、大小の用足しは相変わらず外で済ませて室内に落ち着く気配は全くない。屋内にいる時間が長くなると、外に出して欲しいというサインか落ち着きがなくなり、窓を開けてやるとサッサと外遊びにお出かけ(苦笑)。私たちもサンちゃんが身につけている逞しい野良的生活術が気に入っており、無理に家猫化することにはためらいがあるので、しばらくは様子をみていることにしている。そこでサンちゃんの逞しさについて。

 逞しさ1−私たちが山荘に滞在している時は、野外生活をしていてもサンちゃんは私たちの姿がみえるあたりの近距離で寛いで、身づくろいをしたり昼寝をしたりしている。敷地内の住人が見える辺りには、人間は侵入してこないし、他の野良猫や野生動物も人間を警戒して近づいてこないので、私たちの存在は一種のバリヤーの役割を果たしているようである。サンちゃんは、仲良くなった人間を楯として利用しているのである。これはなかなか賢いやりかたではないだろうか。

 逞しさ2−サンちゃんは威嚇のシャーという鳴き声を決してださない。これは猫に対しても人間に対しても同じである。何故だろうか。人間に対して威嚇しても、相手が圧倒的に優位なので、威嚇する意味はあまりない。人間を不愉快にさせるだけで、猫に有利なことはほとんどないし、対等な猫に対しては、サンちゃんはにらみ合いの次は実力行使で飛び掛るなどの攻撃にでる。怪我が多いのはそのせいだろうが、山荘は縄張りとして確保できている。他の猫は、姿を見るなり逃げるのにはそういう背景があるからだろう。人間も猫も威嚇しないというサンちゃんの作戦は今のところ有効なようだ。(サンちゃんの耳は実力行使の結果、傷跡だらけ)

 逞しさ3−驚くほどの好奇心と適応力がある。サンちゃんは何か見慣れないものを見つけると、キラリンと目が光る。直ぐには行動に移さないが、あとで必ずチェックしている。自分にとって都合がいいことかどうか調べに行く。食べ物でないなら快適に寛げる環境として役立つかどうかを見ているようだ。言葉にして表現しないが、行動をみていると大体考えていることが分かってくる。猫なりに考えて行動するので、結果として、優れた適応力となって実を結ぶことになる。野良として生き延びる力になっているのだろう。

 逞しさ4−生物としての逞しさとは、自身の快適な生涯と、いかに沢山の子孫を残せるかが、判断の基準になるだろが、快適な生活はある程度実現しているようだし、子孫については、サンちゃんは意外にもメス猫に優しいので、受け入れてもいいと考えるメス猫は少なくないのではなかろうか。この点は判断を保留にしておこう。

 ともあれ、サンちゃんが遊びにくるようになった山荘生活には一種の彩が加わったことは確か。大人しく寝ている時間が一番いいが、私たちの後について動き回っている時も面白いし、喜ばせてやろうとして何かしてやった時の反応が実に面白い。ツレが湯たんぽ代わりにペットボトルにお湯をいれてタオルを巻いて与えた時の歓びようなど、してやったりと思わずニンマリする反応だった。