武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 新たな生活空間の構築(65)


《今年の山荘利用日数》

 赤城山荘と現住所との二地域暮らしを始めて二年目、果たしてどの程度の利用日数になるものか、几帳面な性格のツレに集計してもらった。結果は何と170日を越えているとでた。漠然と推測していた以上の稼働率である。月別の滞在日数が出てきたので紹介してみよう。(右の画像は、冬の夜明け、澄み切った早朝の空の一瞬の朝焼けはいつ見ても感動的)

1月(8)、2月(8)、3月(12)、冬は28日
4月(13)、5月(12)、6月(15)、春は40日
7月(21)、8月(22)、9月(15)、夏は58日
10月(19)、11月(12)、12月(15)、秋は46日
合計で172日、なかなかの稼働状況である。
一泊二日を2日、二泊三日を3日、三泊四日を4日とカウントしてある。

 別荘を所有している人たちは年間何日くらい利用しているのだろうか。100日を越えて利用している人は多くないと聞いたことがある。軽く100日をオーバーしていたので、山荘を購入したのは無駄な出費ではなかったと判断できるのではないか。満足度で測る方法もあるだろうが、利用日数は確かな目安になるのではないか。

 二地域暮らしを、都会と田舎の良いとこ取りをするご都合主義的な暮らし方と、軽く揶揄するような発言を聞いたことがあるけれど、そのような批判は当たらないと思っている。都会で暮らすことには、多様なインフラに囲まれた便利さがある代わりに、人口密度の高さゆえの沢山のリスクと高い家賃故の狭さが付きまとう。

 一方、過疎が進みつつある田舎に行けば、豊かな自然環境と広い土地があるけれど、都会には溢れかえっている便利さに欠ける。過密と過疎に象徴される現代社会の歪みを、逆手にとって両方の負の側面に目を瞑り、逆に良いところを取り入れた暮らしをライフスタイルにする生き方はもっと広まっても良いような気がしている。

 田舎と言っても別荘地は地価が高い。大きな資本が開発した高級別荘地は、都会に見劣りしないほど便利で華やか、何不自由ない利便性を売り物にしているけれど、過疎化がすすむ寂れた田舎ではない、別荘地は田舎の土地に移動してきたミニ都会である。過疎化が進みつつある本当の田舎は、まるで見捨てられたようにひっそりと目立たない形で広がっている。