武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 新たな生活空間の構築(69)


雪渡りして来たサンちゃん》 
 1月18日の夜から、日本列島は強い寒気に覆われ、太平洋側を通過する発達する低気圧の影響で、例年にない暴風雪に見舞われた。いつもなら雪の少ない赤城山南麓を含む前橋市は20cmの積雪となった。その後も数cmの積雪が加わり我が赤城山荘も雪に埋まった。これまでは二地域暮らしの我が家では、雪が積もるようなら現住所にとどまり雪が解けるのを待つことにしてきた。

 ところがサンちゃんという野良猫と親しくなり、山荘を空ける日数が長くなるので、思い切ってクルマのタイヤをスタッドレスに履き替え、天候の回復を待って山荘に行ってみることにした。やはり想像していたように山荘に近づくと小道は雪に埋まり県道から先には進めない。スコップでクルマ1台分の道を作り、何とか駐車出来る場所を作った。そこからは、持ってきた荷物を抱えて運び上げるという高齢者向きではない力仕事となった。

 敷地とその周辺の雪野原には数種類の動物の足跡があった。深くもぐりこんでいるのは、足型からしてイノシシにちがいない。猫らしい足跡もみつかったけれど、猫は雪が苦手と言うから、犬かもしれないと思った。山荘の敷地にやってきたのは足跡からすると動物たちだけのようだ。(画像は、山荘の敷地の降雪と動物たちの足跡、サンやんの足跡も含まれているはず)

 荷物を運び終え周りの様子がわかったので、一服してコーヒーを飲んでしばらくすると、グングン気温が下がり風花が舞い始めた。それも少量ではない。赤城の山頂を越えてくるのか、まるで雪降りのような風花が風にのって目まぐるしく敷地に舞い降りる。そこに何と黒い塊サンちゃんが現れた。身体に所々風花をくっつけてリビングに上げて欲しいと、大きな声で鳴いたのである。

 直ぐに窓を開けて身体に付いた風花をふき取ってやり、鮭弁当の残りとカリカリを提供して、歓迎の挨拶とした。頭とアゴ、首周りを撫でてやり、スキンシップを通して「よく来たな」という気持ちを伝えた。食べ終えたサンちゃんは、ストーブの輻射熱が一番良く届く椅子の上で身づくろいをして寛ぎ始めた。

 山荘は軒下が長いので一部雪は解けているが、山荘に来るまでは雪野原である。サンちゃんは表面が固く凍りついた雪野原を踏み越えてやってきたことになる。一度降り積もった雪の表面が硬くなり、人や動物が雪の上を自由に行き来することを<雪渡り>という地方がある。宮沢賢治の傑作「雪渡り」は、そんな雪渡りを背景に狐と子どもたちの交流を詩情豊かに描いたデビュー作だ。

 24日は日本列島をこの冬で最も強い寒波が包み、山荘の外気温はマイナス10℃を下回った。ところが早朝の6時ころ、トイレに起きて、ついでに外の様子を見にゆくと、黒い塊のサンちゃんがリビングの外に寒そうにうずくまっていた。声をかけると鳴いたので直ぐに室内に入れてやり、急いでストーブに点火、歓迎の印にキャットフードを出してやった。夜明けの雪渡りは、雪国の子どもたちしか味わえない冬の遊びだった。硬く凍りついた雪野原には、どこまでも歩いて行けそうな不思議な開放感に満ちていたものだった。サンちゃんは夜明けの雪渡りをして山荘に遊びに来たのだった。これには私もツレも大感激、サンちゃんを大歓迎したのはいうまでもない。