武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 新たな生活空間の構築(70)


《自分を客として迎える住居》

 今回は奇妙なお題になってしまったが、我が二地域暮らしの要諦と思われるポイントなので、あえてそのままにした。現住所はあくまでも生活の拠点なので、生活臭が満ち溢れ、やや雑然とした生活の場である。狭い空間に生活に必要な複数の機能が混在しており、よく言えば多機能だが、要するに多くの物が詰め込まれたウサギ小屋(苦笑)。よほど親しい人以外は中に招き入れることはまずない。

 これに比べて山荘は、一定期間滞在することはあっても、生活の拠点ではない。あくまでも仮住まいのお宿である。初めの頃は屋根のあるキャンプ場ぐらいに考えていたほど。実は、このことはとても大事なことであることが分かってきた。日常生活から切り離された非生活空間としての山荘が、気分転換にとても有効なのだ。

 滞在中には、ツレが毎回可なり丁寧に掃除している。気持ちよく掃除ができるように床には物を置かないことにして、いわゆる生活の匂いがでてこないように気を使っている。滞在を終えて帰る時には、あたかも野外でキャンプを撤収する時のように、徹底的にゴミをゼロにして帰る。旅館の空き部屋のような感じといえばいいか。(画像は、滞在を終えて帰る準備がすんだリビング、空き部屋のように生活感がない)
 次に来た時に、あたかも自分たちをゲストとして来た来客のように迎えることができる。そうすることによって、到着と同時に良い気分になって滞在を始められるのである。買い込んで来た滞在日数分の食料と衣類を運び込みながら、非日常的な空間に入り込んだことを実感し、気分が何となく朗らかになってくる。リタイアした庶民のささやかな老後の愉しみがこのようにして始まる。