武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 通勤読書のライフスタイル(写真は道端でみつけたセイヨウタンポポ、たくましく生垣をかいくぐり茎を伸ばしてしっかりと花開いていた)

toumeioj32005-05-27

 電車で通勤や通学してきた年月が20年以上になる。高校生の頃からだ。電車の中で読書をして時間をつぶしてきた。
 思い出すと失敗も数々ある。遠藤周作の「沈黙」に夢中になり、停車駅を乗り過ごし遅刻したこと。戻る電車でまた乗り過ごしてしまい大遅刻になったこと。車窓の景色がいつもと違っているのに気づいたときのあの焦り。一駅の乗り過ごしなら数え切れない。少し難しい本を集中して呼んでいるときが特に危ない。
 資本論も3種類の翻訳(岩波書店版、青木文庫版、大月書店版)は全部電車の中で読んだ。ファーブル昆虫記も大半は電車の中で読んだ。「カラマーゾフの兄弟」もサルトルの「存在と無」もそのほとんどを電車の中で読んだ。電車で得られる他に使いようのない時間は、貴重な情報収集と思索に役立っていたことになる。
 今は自宅近くの駅から職場近くの駅まで約25分ほどかかる。途中で乗換えが2回ある。2回中断があることになる。往復で50分。週5日制で250分、4時間ちょっとになる。文庫や新書なら週に1冊は読める勘定になる。読みかけの同時進行の本がバッグの中に2〜3冊入っていると安心。例えばミステリーとパソコン関連と調理本のように、ジャンルの違う本を数冊持ち歩いて楽しんでいる。
 飛行機の中、船の中もいい。乗り物に乗っていて他にすることがない場合、私は必ず本を読む。私は、乗り物型の活字中毒患者かも知れない。将来退職して電車にあまり乗らなくなったらどうしよう。