武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 星野道夫著作集①新潮社 きみは颯爽として新鮮な若い旅人

toumeioj32005-05-28

 この巻には、星野の最初のエッセイ集「アラスカ 光と風」、カリブーに関する2本の調査報告、「ムース」と「グリズリー アラスカの王者」と題する2冊の写真文集の本文が収められている。すべてアラスカに関するもの。
 「アラスカ 光と風」は、写真家星野の誕生をたどるとともに、星野がいかにしてアラスカに魅せられていったかを表現している。アラスカで星野がであった人々、自然、風景、動物達、それらを語る語り口がいかにもうれしそうでしかも初々しいほどはつらつとしていて読むほどにこちらの気分がすっきりしてくるほど。屈託のない文体、曇りのない観察力、星野が感動した体験が小細工なしにもろに伝わってくると感じる素敵な読み心地のエッセイ集。
 「シシュマレフ村」星野の始めてのアラスカ冒険旅行と十年後の再訪を対比させながら、星野は鮮やかに自分がアラスカに魅入られていく過程を語る。エスキモーの村に飛び込み村の中に溶け込んでゆく星野、十年後の再訪を加えることによって村の上を通り過ぎた歳月を浮き彫りにする。それは同時に星野自身を流れた十年の歳月。この最初のエッセイの最初の一編で星野は、アラスカは自分の人生そのものだということを見事に語っている。人が何かに運命的にかかわるとはこういうことなんだと思う。
 カリブーを追って」は鳥類学者との調査旅行と自分ひとりのブルックス山脈の麓での1ヶ月半を費やしたカリブー撮影旅行。人跡未踏の荒野における星野のアウトドアライフにはうらやましくってため息がでるほど。星野はたぐいまれな旅人なんだなと思う。たった一人で40日以上暮らしすべての生活を一人でこなしていくんですよ。見るもの聴くもの写すもの、すべて俗塵を拭い去り純粋に結晶化するに十分な時間じゃないですか。耐えていたり我慢していたりするものがおびただしいはずなのに、そんなことはほとんど語らず、曇りない描写で十分に楽しませてくれる。
 「氷の国へ」では、カヤックというカヌーを使ったグレイシャーベイでの氷河の海の単独旅行。転落すれば数分で命をうしなう死の海で、これも1ヶ月半。しかもカヤックの練習なしでぶっつけ本番。常識的に考えればこれはとんでもないこと、めちゃくちゃですよ。こんなぶっつけ本番が彼の方法論、遣り方のようです。とにかく何でもこの調子ですから、ドキドキはらはら、読んでいて面白くないわけがありません。
 「オーロラを求めて」が本エッセイ集の白眉、つまり最も厳しい冒険旅行となっていて、その分深く面白い。2月のアラスカ山脈の麓、マイナス40度、一人で暗闇の中で1ヶ月、こんな生活、あなたはやってみたいと思いますか。目的は、山を前景にいれたオーロラの写真をとるため。星野の写真があんなに素晴らしいのは、これほどの仕込みが1枚の写真、そのシャッターの一瞬にかけられているからなんだということが分かってきます。しみじみと分かってきます。テントの中でぐつぐつ煮える紀文のオデンの写真を繰り返し眺める星野くん。震えるような感動場面がいっぱいです。長い長い寒い暗闇の原野で星野は、生きることの意味を繰り返し考えたことでしょう。この一編には人生論のようなフレーズが時々出てきますが、無理がなく、私は何度もひざを打ち、納得しました。これはもう撮影旅行の域をはるかに超えた、過酷な修行僧の荒行のようなもの、無事に帰還した人が一段人間性豊かに成長するのは当然です。
 「北極の門」ブルックス山脈の秋の写真を取るための3週間の単独撮影旅行。
 「クジラの民」北極圏のエスモー村における捕鯨生活。クジラが取れないエスキモーとの焦慮の日々と捕鯨成功の爆発する歓喜、写真を撮ることをわすれさせるほどの喜びをエスキモーとともにする星野。彼の写真は内奥に入り込んだものの眼からとられたものだということが良く分かる。
 「新しい旅」エッセイ集出版のあと9年後に付け加えられた一章、エスキモーの古老の深い内面をめざす旅、若者の冒険旅行とすこし趣がちがう。星野の進化を感じる落ち着いた一編。
 「二編のカリブー調査報告書」エッセイとは違う、より客観性を加味させたすっきり分かりやすい文章。行間からカリブーへの思いが感じられる。
 「グリズリー」星野の初の写真文集の本文。星野が撮影するグリズリーがちっとも恐怖感でとられていないのが不思議だった。星野が怖がっていないのが不思議だった。望遠レンズを使っていてもかなり近いはずなのになぜか星野は怖がっていない。むしろいとおしんでいる。その理由がわかります。星野は、神話化された恐怖のグリズリー(例えばハリウッド映画)にではなく、自然の中のありのままのグリズリーに接近していたのだということが分かる良い文章だ。
 「ムース」方法論はグリズリーと同じ、自然写真家としての星野が何をムースに見ていたか、ドラマチックなムース親子の場面から良く伝わってくる。星野の眼は、単に優しいだけではない透徹した力を持つにいたったことも良く分かる。
 文章家としての星野道夫の初期作品を収めた1冊だった。堪能した。この後、星野はどこまで深化し進化するのだろう。楽しみだ。
<続く>