武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 (写真は通り道の民家の庭先で咲いていた花、道に溢れ出すように美しく咲いていたのでついシャッターを押してしまった)

toumeioj32005-05-29

 早朝出勤の日曜日とあっていつもの道には中学生も散歩の犬連れ散歩者もいない。わが道を行くという感じで20度以下の涼しい朝の散歩を楽しみつつご出勤。ipodリヒテル演奏のバッハ・平均律クラヴィーア曲集を聴きながら。
 この演奏にはちと文句がある。録音マイクの位置が悪いのか、弾いているピアノの調律が狂っているのか、強く演奏する部分がとても聴きづらいのだ。発売時期が違う2種類のもののいずれも同じ欠点を持っているので、CDの一時的な欠陥ではなく、演奏の録音自体が良くないのだと思う。マスターと呼ばれる録音の原音自体がおのでかしいのではないか。ところがこのCDのパッケージのどこにもこの欠点欠陥の表示がないのだ。解説のどこにも録音がおかしいと書いてない。私は見過ごしにしてはならない欠点だと思うが誰もこの点を問題にしていないのが不思議でならない。何故そんなものを聴くのかというと、弱音で演奏する部分についてはほぼ理想的とも言える限りなく美しい演奏が含まれているからだ。その部分だけはどうしても捨てがたい。耳障りな欠陥には耳をふさぎ我慢して聴いていると、美しい部分は限りなく美しい。強い部分にくると何かがキンキン嫌な音を立て耳が痛くなる。こまったCDだ。聞き苦しいところを過ぎると、蕩けるように美しい旋律が流れ出す。
 こんなほろ苦い思いを噛締めながら駅に向かって歩いた。早朝なのでいつもより何度か気温が低いらしく、あまり汗ばんでこない。快適な一日の始まりの散歩になった。