武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 「失踪日記」吾妻ひでお(出版・イーストプレス)

toumeioj32005-06-07

 表紙に「全部実話です(笑)」吾妻とある。とり・きみの推薦文に「できるだけ多くの人に読んでほしい傑作」とある。3月20日の朝日新聞の書評では、「仕事とは、自己実現とは、そして生きるとは何かを考えさせられる人生の指南書だ。」とまで書いてあった。3月30日の読売新聞には「本当の「私小説」」とまで評されていた。奥付を見ると6刷とあり、3月の時点で6万部売れているらしい。私も読んでみた。
 ほめてもほめ切れないような作品だけを気楽に取り上げ、気持ちよくほめ言葉だけを書き散らしてゆくつもりだったが、これだけは、そうはならないかもしれない。この作品は、「夜を歩く」「街を歩く」「アル中病棟」の3篇からなっている。順番にみてみよう。
「イントロダクション」文字通りの導入部。89年の主人公の理由のない失踪と自殺未遂。単なる前置きか。
「夜を歩く」89年11月から始まったホームレス生活の細部にわたるエピソードを漫画化したもの。週末だけのアウトドアではなく、長期の野外生活をしたことのある者ならわかるが、野外生活を続けていると、生活が要素化する。人と会う必要がなければ、衣食住からまず衣服への関心が脱落、社会性を喪失する。生きていくための必要条件、食べることと寝ることに関心が収斂してしまう。主人公の場合は、失踪とは言っても、人家の付近を徘徊し、酒やお菓子にも手を伸ばし、けっこう楽しそうに気楽そうに動き回っている。本当の悲惨なシーンを回避したのか、あるいはその程度の社会的逃避に過ぎなかったのか、著者のこれまでのギャグ漫画の水準以上ではない。「夜を歩く」とは、人目につきたくないという主人公の心理状態を表題化したもの。1ページ4段コマ割り、クローズアップを使わず、1コマ1コマを丁寧に作り上げる描き方、人物と背景の調和した細やかな描写。漫画自体は悪くない、漫画の表現にはむしろ好感をもった。
「街を歩く」は、94年の4月からの現実逃避生活に取材したもの。今度は、過酷な野外生活ではなく、漫画家を放棄し、日雇い労務者的なその日暮らしの中で遭遇する小さなエピソードを漫画で綴ったもの。途中からガスの配管工になる話になる。このところはリアルに配管工体験を書き込んであり、読ませる。その後、突然話は、漫画化修行時代の思い出話になり、漫画化人生の苦労話となるところを少しギャグっぽく書いてある。私小説的といえば確かにそんなところもあるが、感心するほどのことはなく、ややまとまりに欠ける。感動したかと聞かれれば、しなかったと答えるしかない。
「アル中病棟」98年、主人公は仕事に行き詰まり、アル中になり、最後は、強制的に入院させられるという話。入院生活をしたことのある人なら分かるが、病院には病院の生活があり、入院生活では何の病気で入院するかによって生活スタイルが変わる。アル中の集団治療ともなれば、奇妙な人物が多彩に登場することは十分に期待できる。暗くならないようにかわいらしくギャグ風にまとめたところは吾妻ひでおらしい。だがアル中の体験話など世間にはごろごろ。これを人生の指南書とまで言い切っていいかどうか。
 全体として、所々にころころしてかわいい少し色っぽい女の子が出てきて、読者サービスをしてくれるところがある。ストーリーの一部だが、描線がすっきりして美しいので私の眼を引いた。著者にとってギャグはサービスなのか方法論なのか。著者が本当に漫画で描きたいものと遭遇するためには、もう少し時間が必要な気がした。(偉そうなこと言ってゴメン。)