武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 90年代に恐怖を主題にした小説ジャンルの確立に貢献した傑作書評の集大成、書評の正しいあり方を示してくれる里程標のような愛読書

toumeioj32005-08-15

 私は書評を読むのが大好き。自分の狭い読書の世界に、思いもよらない新しい風を迎え入れるきっかけになることがあるので、努めて読むようにしている。これまでに、書評に教えられて、何冊の面白本、愛読書に巡りあってきたことか。本のことを話し合える友人となると意外に少ないもの、まして自分の読書の視野など取るに足らない、となると、頼りになるのはやはり書評と広告、NHKの週刊ブックレビューなどもお気に入りの本の世界への窓口。
 さて、この「ホラー小説時評」に巡り合うまで、お恥ずかしい話だが、ホラーが独立したジャンルを形成するほど隆盛を極めている小説世界になっていることに私は気がつかなかった。角川ホラー文庫が書店の一角を占めているのを横目で見ながら、うっかり、その意味することに気づかなかった。この東雅夫さんの一書を読み、己の不明に恥じ入った次第。この本を手にしたのは、多分2002年の後半の時期だと思うが、10年以上も面白い小説世界が立派に形成されていることに不明だったことを遅ればせながら教えられた。
 私にとっては、この本は、小説ジャンルに「時代小説」「ミステリー小説」「冒険小説」「SF小説」「恋愛小説」など様々なジャンルがある中に、立派に「ホラー小説」なるジャンルが独立して存在することを証明して見せてくれたホラー小説の独立宣言のような本。ホラーが主題とするのは、言わずもがなの「恐怖」。この著者の恐怖に対する視野は広く、翻訳ものはもとより国産のものから、アンソロジーの編集方針にいたるまでバランスの取れた無理のない書評を、端正な文体でていねいに教えてくれる。ホラーの時評を安心して読めるというのもおかしな話だが、文体の安心感と言うのは、書評にとって凄く大事な要素の一つではないかと思う。
 書評文はSFマガジンに1990年2月から2002年1月まで掲載されたものをまとめたもの。年末にはきちんと年間の総括がしてあり、1年ごとにまとまりを作りながら、ほぼ10年間のこの国のホラー出版の展望がいながらにして得られる仕掛けになっている。この本に促されて、何冊素晴らしいホラー小説に導かれたことだろう。しかし、残念ながら年齢のせいか、恐怖に震え上がるような本にはめぐり合えず、1級の娯楽読み物、時がたつのも忘れるような素敵な読書体験をプレゼントしてもらった。1冊の書物から得られる情報としては非常に精度が高いと言うことをお知らせしておきたい。それで十分でしょう。
 しかし残念ながら、子どもの頃「フランケンシュタイン」「ドラキュラ」などを読み、心の底から震え上がったような体験はできなかった。それにしても、この国のものも、かの国のものも、小説技術の進歩には素晴らしいものがある。「ジェットコースターのよう」という評語があるが、まさに、読み出したら止められない面白本の何と多いこと。ホラーの世界をかつての私のように食わず嫌いしている人、是非この本を手にとってみて。2400円は安い買い物になるはず。
 私の書棚にはこの10年間、いつも定位置を与えられ、暇なときや退屈なとき、いつも相手をしてもらった。無聊を慰めるいい話相手をつとめてくれている。