武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

新しい旅のスタイルを提起しつつ、この国の川を取り巻く人情と自然の環境報告を生き生きと伝えてくれる、カヌーの傑作紀行

toumeioj32005-08-24

 はじめてこの本を読んだときの新鮮な驚き、今でも忘れない。恥ずかしながら私はこの本を読むまで、ファルトボートなる組み立て式カヌーの存在も、ファルトボートを使ったツーリングがあることも全く知らなかった。そして、川の水の上をゆく旅ができるということも、考えたこともなかった。
 この国の場合、昔の人の暮らしを縁取る自然の輪郭は、<峠>か<川>だったように思う。山間に生まれ育つと、360度の視界を区切るのは山々、別の世界へと通じている道は<峠>道だった。大きな河川に近く生まれ育つと、その川に関わる水運の便が生活の隅々に入り込み、<川>の船着場あたりが別の世界への発着点となるのだろう。開けた平地では<地平線>が、海で暮らせば<水平線>が、暮らしのを縁取る区切りとなる。私は山で遊ぶ環境で育ったので、川は小さな小川の水遊びしか知らなかった。今でも、大きな川の側に行くと何かしら恐ろしいような気がして、腰が引ける。
 著者の野田さんは川育ち、こよなく川を愛し、川と遊ぶ人。人が自転車やオートバイを移動の手段にするように、船を移動の手段に使う。そして、水の上を移動する手段を使って旅をする、考えてみれば何の不思議もないが、里山で遊び暮らした私にとっては新鮮な驚きの連続だった。そして引き込まれえるようにして読み進んだ。めっぽう面白かった。例によって多くの知人に勧めてまわった。
 さて、中身に入ろう。この本は、北海道の釧路川に始まり、次第に南下して最後は鹿児島の川内川で幕を閉じる川旅の旅行記、全部でこの国の14の川をカヌーで下る話。旅のスタイルは単純明快だが、遭遇する風景と人々は多様を極め素晴らしく面白い。著者自身が持つ日本人離れした人柄もあるようだが、人と人とがあっという間に濃密にふれあい気持ちのやり取りが成立する。カヌーと言う旅のツールは、人の心を開き大らかにするものなのかもしれない。私もカヌーを買おうかと悩んだ一時期がある。諸般の事情があり断念したが、それほどに人を魅了する本だ。
 野田さんは一つの川を旅するのに1週間から10日ほどかける。そして、可なりの割合で宿泊はテントによるキャンプ生活、食事は自炊が多い。自宅を離れて旅に出るとどんな旅であれ、何処に泊まり何を食べるかは大問題、関心事の半分を超えるように思う。貧乏ツーリングでも豪華な団体旅行でも、宿泊条件が満足できると旅が充実した気になる。野田さんは、川下りの途中で、素晴らしい自然のキャンプ地を見つけ、実に楽しそうに川べりでキャンプし、食事にありついている。うらやましい。
 川を旅すると、川とともに暮らしている人々との出会いがある。野田さんの人柄だろうが、その出会いの部分がとても楽しい。読んでいて自然とこちらの表情が緩んくる。寛いだいい読書をしている証拠。川を旅すると川を取り巻く自然と向き合う。この国の自然は人が入り込み強引に人工的に作り変えた自然、中には合理的な例があるのかもしれないが、大概が自然破壊、環境破壊、野田さんはやはり無残に作り変えられた自然の破壊現場に出会う。この国も治水の心を砕いてきた国、無残な爪あとを水面に近いところから見てしまう。その報告がまた新鮮で感心させられた。
 奥付をみると1982年3月初版発行とある。今から23年前、アウトドアブームが盛り上がりはじめたころだろうか。この後、野田さんはカヌーの川旅の本を何冊も出した。気になったのでいつも買って読んだ。いつも面白く読んだ。でも、どれか1冊となると、この「日本の川を旅する」がベストだろう。