武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 高齢化社会と介護問題を著者の最近の関心事を基に縦横に語った問題提起の書、鋭い指摘が随所に光り考えさせられる

toumeioj32005-08-23

 良い書き手は引用が上手い。引用が下手でピントがずれているような物書きにろくな人はいない。上野千鶴子は、セクシーギャルズ以来つとめて読んできたが、引用が抜群に上手い人だといつも感心してきた。今回はどんな引用の冴えを見せてくれるか、それが彼女のものを読む楽しみの一つ。
 表紙のカバーに「わたしの人生は、下り坂である」と白地にくっきりと刻印されている。帯にも「下り坂からみた景色・・・」とある。上野千鶴子一流のバネのきいた切り替えしの技、読むものをドキリとさせる苦い警句の連発、なるほど、上野千鶴子はこうゆう風にして歳を取ることにしたんだなと、面白く感じた。似たような感慨は誰もがいつかは抱くことだろうが、こんなに虎視眈々と待ち伏せするようにわくわくとして歳をとるのも悪くはない、誰もができることではないと思うが。
 内容だが、プロローグから自分が50歳を過ぎたこと、歳をとってきたことを淡々と語るのに驚く。この本は峠を越えた感覚から見えてきたことの新しい風景のレポート。確かに、歳を取らなければけっして見えてこない風景と言うものがある。このレポートには耳を傾ける価値がある。
 さて、高齢化社会と盛んに言われるが、高齢者がみんな元気なら何の問題にもならない。高齢化社会が問題なのは、高齢者は、ほとんどの場合、高齢者特有の老齢化による心身の病気になりやすく、平均して死の約8ヶ月前は誰かの介護を必要とする状態になる。自分以外の誰かに支えられ介護されて最後を迎える。このほとんど誰もがしたりされたりする介護、この介護こそが高齢化社会の社会問題の中心課題。
 上野千鶴子は、老化の問題を正当に、この介護の問題に絞る。老人問題を社会学の立場から扱うとなると第2章の「介護と家族」、第3章の「介護保険が社会を変える」は避けて通れない。第2章では、老人介護を巡る家族の問題を様々な観点から、非常に分かりやすく取り上げ、分析と問題提起をしてくれている。第3章では介護保険法の意味と、介護保険の実際の運用に関わる問題点を見事に分析して見せてくれる。
 私が一番面白いと思ったのは、少し介護の問題を離れるこの第4章の運動論の部分。「市民事業の可能性」ど題するこの章は、上野千鶴子による市民運動の運動論として読める。市民運動を事業としてとらえると、シャドーワークの考え方、コスト意識の考え方、いづれも示唆に富む面白い問題提起。運動をすすめる原則として紹介している原則が面白いので引用する。

その1、やりたい人がやる。やりたくない人はやらない。
その2、やりたい人はやりたくない人を強制しない。
そん3、やりたくない人はやりたい人の足を引っ張らない。

この3原則はよくできている。谷川雁の発案だそうだが、こうゆう単純な原則を尊重できなくて、幾多の運動が潰えていったことだろう。もう一つ、日本女性学研究会の直接民主主義の三原則も面白いので引用する。会を組織する時、こうゆう気持ちがないと長続きしない。

その1、誰も誰をも代表しない。
その2、誰も誰にも代表されない。
その3、手を出す人が口を出す。

 上野千鶴子は、運動に対して「節度ある関与」を提案している。含蓄のある言葉だ。
 最後の第5章は「ニューシルバーが老いを変える」と題して、老いを迎える団塊の世代に四つの指針なるものを提案をしている。これも面白い。

その1、わがままに生きよう
その2、住みなれた土地で、親しい仲間達と一緒に
その3、気の合うネットワークづくりを
そん4、最後は一人と覚悟する

 引用だけでは何だかよく分からないという方は、是非本書を手にとってもらいたい。男も女も、これからは歳のとり方を真剣に学ばなければならない時代。この本は、学ぶべき内容に満ちた1冊だと思う。